台風の 気持ちばかりが 通り抜け
中村 梅士 Baishi
JR全線運休で台風一色の一日だったが、博多はほんの
気持ちばかりの雨風に終わり、通り過ぎて行った。
台風すっぽ抜けの夕方、気持ちもすっぽ抜けたように、
白々としている。
昭和史は睡魔に襲われてあまり進んでいない。
昨日の彷徨で疲れたのだろうか。
気が付くと目を閉じており、幻影を見ているのである。
居眠り運転で危なかった時も、貧血で倒れた時も、そ
の様だった。
死ぬ時もその様かもしれない。
さて、もうすぐお彼岸、父の七回忌になる。
昨日は彼岸花を見納めることができてよかった。
今が一番の見ごろを迎えている。
靖国神社で父の供養を兼ねて奉納したが、幸福の科学
では供養をしていない。
彼岸には、供養したいものだ。
昭和史は、戦前と戦後で全く日本の性質も方向性も違
ったものになっている。
戦前は、列強に対する力関係や戦争リスク、世界的な
恐慌リスクなど、荒波にもまれる小舟のような時代だっ
たろう。
しかし、日本は神国だった。
維新の志士に比べれば質は落ちるのかもしれないが、
それでも、政治家や経済人のリーダーの気概や責任感は
現代とは比べ物にならないほど素晴らしかった。
統帥権干犯問題という明治憲法の文言上の欠陥が、軍
部独裁政治を招き、戦争に突入していったということは
あるが、民主主義では活路を開くことができなかったと
もいえるし、大東亜戦争は、歴史の必然だったとも考え
られる。
植民地勢力に打撃を与える必要があったからである。
結局、日米対決を避けることは出来ず、悲惨な敗戦に
至ったが、精神的輝きが失われたわけではなかったと思
う。
戦後は焼け野原からの復興と言う困難を克服して経済
大国への成長した底力はあったが、政治的には戦前の気
概や独立精神は失われてきたのではないか。
経済は一流、政治は二流、教育は三流以下だった。
しかし、今は政治も経済も教育も、三流以下の最低で
ある。
役人は、実質的には失業者だと言われているが、実際、
民間に通用する企業家的、生産的人材はいない。
なぜそうなったのか。
神を見失い、独立国家としての精神を見失ったからで
はないか。
日本は敗戦から立ち直ってはいない。
天変地異もあまり効き目がない。
歴史の必然として、ファイナルジャッジメントが現実
になるのかもしれない。
ナンチャイナの厚かましい支配を受ける最悪の事態で
ある。
それを、最善だと言う野党や左翼自民党政治家、政治
評論家や大学人、マスコミ陣がいるのだから、ひどい話
ではないか・・・。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party