秋雨や 花りん糖など ぽりぽりと
中村 梅士 Baishi
今朝は雨である。
朝方、緊急地震速報で目が覚めた。
5:22am、青森県の沖合でM6.1、最大震度4とい
うものだった。
博多はぴくりとも振動しなかったが、まあ、無事とい
うことでよかった。
地震報道が一段落して、かりんとうをぽりぽりと食い
ながら、お茶をすすっている。
オーディオにつないだパソコンで、FMの「朝のバロ
ック」を楽しめるようになった。
かつて、受信状態の悪いFMと格闘してあきらめたの
だった。
今朝は、17世紀に活躍したヨハン・ローゼンミュラー
のバロック音楽である。
ドイツバロックとイタリアバロックの融合に特色があ
るという。
バロック音楽は心がアルファになる。
確かに、教会堂の荘厳で神聖な雰囲気は聖域である。
人には祈りたくなる空間が必要である。
昨日は、読みかけたまま放置されていた渡部昇一先生
の『日本語のこころ』を完読した。
毎度のことながら、圧倒的な読書量と縦横無尽の教養
に驚かされるのである。
主題は和歌の前に平等という日本語の言霊である。
これを読んで霧が晴れた問題意識が二つあった。
一つは、万葉集の難しさである。
最初に分け入ったときは、意味不明の言葉だった。
その原因は、やまと言葉を忘れていたからだった。
漢語的現代日本語は本来の日本語ではなかったのであ
る。
和歌を通して、言霊でできた日本語を学ぶ必要がある。
もう一つは、フィヒテの『ドイツ国民に告ぐ』で語ら
れた、ドイツ語に脈々と流れる語源としての分かりやす
さということの意味である。
フランス語と比較して、いかにドイツ語が生き生きと
しているかを語っている。
その意味は、ドイツ語はいわばやまと言葉であり、フ
ランス語はラテン語を表音的に借用した外来語だと言う
ことだった。
すなわち、フランス語は、古典ラテン語を知らなけれ
ば語源としての意味が分からないわけである。
国民教育に、和歌は必修であろう。
言霊としての和歌に通じることは、日本人としての伝
統と心を学ぶことである。
もう一度、万葉集や古今集を勉強しなおしたい。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
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