さざ波に 釣り人の見え 秋岬
中村 梅士 Baishi
遠賀郡芦屋にサイクリングしたのは重陽の節句、九月
九日だった。
久しぶりに見る海岸の風景は心をほっとさせる安らぎ
がある。
それを眺めているだけで満足している。
昔だったら、海を見ると岩場を辿って釣りに夢中にな
るところだろう。
今は、それほど釣りをしたいとは思わない。
ジョギングや山歩きほどスポーティーではないからだ。
釣竿も横になったままである。
秋は釣りが楽しい季節ではある。
風景も美しく、烏賊も岸辺に寄っている。
もっとも、烏賊釣りに行って、烏賊を釣ったことがな
い。
一日無駄にしてでも、坊主の汚名は返上したいとは思
う。
さて、世界の最高齢は、1900年に生まれた、鹿児
島県の117歳のばあちゃんだそうである。
母は昭和5年生まれの87歳になった。
まだまだだと思っているが、身辺整理をして、いつ死
んでもよい状態で気楽に暮らしている。
近くにいても、滅多に会いに行くこともない。
そろそろ旅行に誘ってやりたいが・・・。
さて、どうしたものかなあ・・・。
まあ、親不孝であった。
電車に乗っていると、およそ7割の人が原始的な端末
画面に見入っている。
目を離すと爆発するのだろうか。
なんとも異様な光景である。
端末を見ながら自転車をこぎ、端末を見ながら歩いて
いる。
心ここに在らずというのは、いわば夢遊病者であろう。
携帯依存症というらしい。
そのうち、地獄もネットでつながるだけの孤独地獄が
何重にも重なってできているのであろう。
目の前の霊人にも気が付かないのである。
『悪魔からの防衛術』を読み返した。
自分は悪魔に狙われる位置にはいないが、信仰の世界
に生きている以上、無関係と言うわけでもあるまい。
悪魔と言うのは詐欺師であり、善意の塊のようにして
接近し、甘言を弄し、善悪をすり替えて行くのである。
経験がないから実感は分からないが、増上慢、不健康
な生活習慣、過度の疲労は悪霊への抵抗力を失いやすい
ようである。
悪霊・悪魔のメンタルは、奪う愛というべき自己中心
を起点にして、不平不満、嫉妬心、恨み心に凝り固まっ
た状態である。
いかなる試練にあっても、天使の心を失いたくはない
ものだ。
大義に生きるということは、私利私欲を離脱している
心境であろう。
さて、自分にとっての大義は、日本の神聖を取り戻し、
独立国家とするところに感心が高い。
幸福実現党は、憲法9条存立の状況にあっても、平和
を愛する諸国民として信頼に値しない国家に対しては適
用除外するという新解釈を示しているが、即ち、前文お
よび9条が非現実であることを示唆しているのである。
だから、防衛体制を充実せよということだが、慣習憲
法体制から新憲法樹立へという道筋を示していると受け
止めるべきであろう。
慣習憲法体制とは、「日本国憲法」は廃棄するが、合
理的に使えるものは「慣習憲法」として骨を拾い、足り
ない所は法律でつなぎ合わせるということでも良いであ
ろう。
議院内閣制を残すとしても、参議院の骨は拾わず、首
相は、国会議員の中から公職選挙で選ぶという準大統領
制にすることも可能であろう。
日本国憲法を廃棄すると言うことは、憲法学者もごっ
そり廃棄すると言うことである。
その業績が新憲法理論に矛盾し、禍するからである。
大学に残すべきではない。
まあ、儲からない弁護士でもおやんなさい。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party