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北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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噂には聞いていたが

2017-10-08 20:18:31 | 女性アナウンサー・アイドル・タレント
「ズームイン!!サタデー」でおなじみのフリーアナウンサー、望月理恵さんのブログに、「おぉ!」と思う記事を見つけた。

なんでも、青森で開催されたイベントに参加した際、青森放送の桑子さんという女性アナウンサーが、トークショーの司会や、理恵さんのサイン会の時の会場アナウンスを担当されたそうなのだが、この桑子英里さんという方、あちらこちらで触れられているようだけど、NHKの桑子真帆アナウンサーのいとこなんだそうです。

放送局のサイトを見てみると・・・、あ、「桑子」じゃなく「桒子」って表記されてるんですね・・・、ピンと来るほど似てはいないようだけど、雰囲気は確かに近いものがあるかも。
画面では見たことがないので、一度見てみたいと思いました。
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川の跡~その先には~

2017-10-08 17:12:30 | 函館



一つ別な記事を挟み、かつて「願乗寺川」と呼ばれていた川の跡地巡りの後編。
前編は、写真の「浄土真宗本願寺派 本願寺函館別院」までを紹介しました。
(前編のルートはこの区間





函館別院から、「高砂通り」を更に進んだ先にある交差点。
写真右奥が函館別院方面で、古地図によると、川はここで左に折れる形となっていますが、左側を流れていた水路は、高田屋嘉兵衛が既に開削していた水路であり、これと一続きになる形で、堀川乗経による「新亀田川」が開通しました。
(この場所はこちら

この「新亀田川」の開通により、この周辺への水の供給が進み、民家が多く立ち並ぶなど市街地の発展が進みました。
住民たちは、堀川乗経への感謝の意を込めて、この川を、乗経が僧侶を務めていた寺に因み、「願乗寺川」と名付けたとされています。





その先にあるのは、「銀座通り」と呼ばれる、歴史感漂う建物が立ち並ぶ地域。
紹介しようと思いつつ紹介していなかったことがわかったので、詳細は後日書きたいと思います。





「銀座通り」を先に進むと、市電が通る「海峡通り」と交差する場所へ。
以前紹介した「はこだて工芸舎」のある場所です。





更に進むと、このような表示がありました。





その先には、「高田屋嘉兵衛資料館」があり、更に進むと、「金森赤レンガ倉庫」と「BAYはこだて」の間の通りまで進むのですが、残念ながら、この通りは、水路の跡ではありません。
先程の「高田屋嘉兵衛通り」の表示について触れるべく紹介したまでですので、ご了承ください。

今回紹介したルートは、地図に落とすとこの区間になりますが、水路自体はここで終わりというわけではなく、ここから左右に分かれていて、それぞれのルートで海へ注ぐ形となっていたほか、先程の、「高砂通り」と「銀座通り」との交差点から反対方向にも水路が存在していました。
(詳しくは、「函館中央図書館 デジタル資料館」にあるこちらをご覧ください)
反対側にあった水路周辺のスポットにも、追って触れてみたいと思います。


最後に「願乗寺川」に話を戻します。
先程書いたとおり、この川は市街地の発展に大きく寄与したものの、人家が多くなるにつれて、生活排水や川水が運んでくる土砂の堆積などにより汚染が進み、やがてコレラが蔓延するまでになり、汚染源としてやり玉に挙げられてしまいました。
それを受けて北海道庁は、オランダ人技師モルトルの案により、川の津軽海峡方面への転注を計画し、1888年に転注が完了した新しい亀田川のルートは「新川」と呼ばれるようになりました。
(転注による新ルートはこちら
転注の結果、願乗寺川は自然廃河となり埋め立てられ、後に「高砂通り」として整備されました。
川としては約三十年という短い歴史でしたが、埋め立ての翌年に開通した上水道へとその役割を引き継ぐ形となりました。
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