「札幌五大寺」の四か所目は、昨日の「新善光寺」から目と鼻の先にある、曹洞宗の「中央寺」です。
曹洞宗は、歴代二番目に北海道に進出した宗派で、「少教正」という職位にあった、「西有穆山(にしあり・ぼくざん)」」という人物が、明治7年(1874年)8月に、札幌に小教院の設置を申請して許可を得、翌年中教院となったことが、この「中央寺」の端緒となっています。
もっとも、この「中教院」とは、本来は寺院ではなく、あくまでも教義の場に過ぎないという位置づけで、葬儀を取り仕切ることは禁じられていたそうですが、同寺に関しては、「元来該地ノ義ハ寺院稀少、内地(本州のことです)一般ニ難見做事情モ有之」という理由で、特別に許可されていたそうです。
「仁王門」とも呼ばれる立派な山門には、その名のとおり、仁王像が設置され、訪れる人を出迎えています。
中央寺の歴史の続きとしては、明治12年(1879年)に本堂が完成、同14年(1881年)に曹洞宗宗務支局となり、翌同15年(1882年)に寺号公称を認可され、同25年(1892年)に現在地へ移転してきました。
現在地への移転に伴い、福井県にある、曹洞宗の大本山、永平寺の直末となったそうです。
「不管東西南北風」。どういう意味かなと思って調べてみると、「東西南北の風がどうであれ」という意味の漢文だそうです。
「風がどのように吹こうが、それに惑わされたりすることなく、己の人生を切り拓いていくべし」とかいう意味が込められているのかな?
訪れたのが11月中旬だったので、既に葉も落ちていましたが、相当樹齢がありそうな木が聳え立っていました。
境内には水子地蔵堂も設置されています。
胎児の状態で亡くなった子供の供養を行う「水子供養」は、お寺で行われることから、仏教の伝来によって日本に伝わってきたものかなと思っていましたが、どうやら日本独自の慣習のようです。