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北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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東本願寺~1~

2021-12-18 17:35:30 | 札幌

 

先日、地下鉄「豊水すすきの」駅近くにある「新善光寺」「中央寺」を紹介し、札幌における仏教各宗派の祖である「札幌五大寺」のうち四か所までを紹介してきましたが、最後の一か所を、二回に分けて紹介したいと思います。

 

 

 

 

 

最後はこちら、「真宗大谷派札幌別院」。「東本願寺札幌別院」とも言います。

 

 

ほほう、来年は節目の年なんですね。

ということで、この寺院の歴史を少し。

「東本願寺」所謂「お東さん」の北海道進出は、明治2年(1869年)、政府に対して、北海道の新道開発、農民移殖、教化普及について願い出たことに端を発するとされています。

この「新道」とは、後に「本願寺道路」と呼ばれる、現在の国道230号、中山峠を超える難所を切り拓いた道路のことで、東本願寺はその年内に調査・計画を行い、明治3年(1870年)から翌同4年にかけて工事を実施し、「尾去別」(現在の胆振管内伊達市長和)と平岸(現在の札幌市豊平区平岸)の間に約103 kmの道路を開削し。同4年10月には、中山峠越えの道路を開通させました。

このエピソードに関しては、中山峠へ行こう行こうと思っていながら行けないまま冬を迎えてしまったので、来年に持ち越しとしますが、その中山峠の山頂に像が立っている現如上人が、明治3年7月に、北海道における教義の拠点として、東本願寺管刹仮本堂を設置したのが、この別院の始まりとされています。

明治4年、越後国横越村(現在の新潟市江南区)にあった「光圓寺」の古御堂を移築して本堂とし、同6年(1873年)に「札幌別院」と改称しています。

 

 

 

早いものでもうすぐ大晦日ですね。

こちらの鐘も、新年と同時に大きく鳴り響くことでしょう。

人はどうでしょう、結構集まるのかな。

 

 

立派な本堂。

明治25年(1892年)に落成したものだそうです。

 

 

その本堂の前に、こんな石碑が。

 

 

「大信海」という言葉は初めて聞きました。

「衆生救済」。依然としてコロナ禍の収束が見通せない今においては、しっかりと願わずにはいられないことだなと思います。

 

 

これは・・・何かな?

 

 

 

 

 

「現如上人」こと「大谷光瑩(おおたに・こうえい)」氏は、嘉永5年(1852年)7月、東本願寺の第二十一代「嚴如上人」の四男として誕生し、明治3年(1870年)に、東本願寺の北海道開拓事業の責任者として、百数十名の随員を従えて北海道へ渡ってきました。

明治22年(1889年)に、父嚴如の隠退により第二十二代法主に就任し、同29年(1896年)には、北海道開拓の功績を称えて、伯爵号を授かるなど、仏教界のみならず、北海道開拓という大きな枠の歴史においても欠かせない自分となっています。

先ほど、現如上人の像がある中山峠へ、行こうと思っていながらも行けていないと書きましたが、正直どういう人物が全く分かっていなかったので、ここで先に調べておくことで、むしろ行く楽しみが大きくなったと言えると思います。

来年、雪が融ける頃にでも、中山峠まで行ってきたいです。

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