いきなりですが、この碑から。
「月寒神社」の境内にある、「吉田善太郎」という人物の功労碑。
南部藩の出身で、開拓使の移民募集に応じて、明治4年(1871年)に、農民44戸と共に、父親に伴われて月寒に移住し、「吉田用水」と呼ばれた灌漑用水路の建立や、農家を改造して使っていた教育所の建物を購入しての小学校の設立、更には戸長役場の建設や道路用地の寄付など、公共の福祉にも多大な功績を残した人物です。
先程の碑がある「月寒神社」からは結構離れているのだけど、白石区と厚別区の境界付近にこんな名前の公園があります。
実は、吉田善太郎を中心とする吉田一族の所有する土地は、先程の碑がある月寒周辺にとどまらず、白石区南郷通、厚別区大谷地~上野幌、清田区北野といった広範囲に亘っていたようです。
「吉田山」という名前が残っているこの公園の周辺は、かつては緩やかな丘陵地帯だったそうで、「山」というほど小高いわけでもないですが、古くから、地域住民の間では「吉田山」という名前で呼ばれていたそうです。
結構広い公園ですね。
子供の頃は、こういう公園で、遊具で楽しんだり、広場を思い切り駆け回って遊んだりしたものでした。
別な場所には「吉田山2号公園」もあります。
「吉田山公園」と「吉田山2号公園」の位置関係はこちらのとおり。
「吉田山2号公園」の少し西にある団地の辺りが、丘陵地帯だった「吉田山」の頂部だったそうです。
現在は開発の影響か、周辺とそれほど高低差はないようですが。
続いてはこちらの川。
草が生い茂っていて、水面を見つけるのが困難になっています。
だけど、辛うじて水の流れがこうして確認できます。
澄んだ綺麗な水が流れています。
こちらの川は、豊平区と清田区の境界を流れる川で、元々は吉田善太郎が引いた用水路がはじまりとされていることから、「吉田川」という名称がついています。
行きそびれてしまいましたが、南方へ向かうと「吉田川公園」という公園もあるそうです。
公園のあるのは豊平区月寒東という地域で、冒頭の「月寒神社」からは結構離れていますが、それだけ広範囲に亘って、吉田善太郎による開墾の痕跡が残されていて、現在もこうして「吉田」という名前を残る形で、地域にしっかりと根差しているということが分かります。
何気なく見ている公園や川の名前に、その地域に縁の深い歴史の痕跡が残されているという点において、大変興味深い散策ができました。