豊平区月寒をブラブラしてみました。
地下鉄東豊線月寒中央駅から徒歩で15分ほどの所に、何やら立派な門構えの施設があります。
郷土資料館は分かりますが、軍隊の司令官官邸跡というのが気になります。
早速入ってみましょう。
明治29年(1896年)というと、日清戦争の直後。
「第7(「だいなな」ではなく「だいしち」だそうです)師団」とは、大日本帝国陸軍の一つで、北辺の守りを担うべく、屯田兵を母体として札幌に設置された常備師団のこと。その連隊の一つが、ここ月寒に置かれていたそうです。
その連隊の流れを汲む、旧北部軍司令官の官邸として建てられた建物が、昭和60年(1985年)に郷土資料館となり、現在に至っています。
開館は、4月~11月の、水曜日、土曜日となっています。
因みに「つきさっぷ」というのは、「月寒(つきさむ)」の古い読み方です。
(「つきさっぷ」の歴史)
中へ入る前に、外をぐるっと回ってみます。
幾つか碑が設置されています。
まずこれは、昭和11年(1936年)10月に北海道で行われた陸軍特別大演習を昭和天皇が視察されたことを記念して、昭和天皇の休憩場所となった、連隊内の将校休憩所の庭に建てられたものを、こちらへ移設してきたものです。
昭和天皇の陸軍大演習視察は、即位後初となる北海道への行幸だったそうです。
こちらは、陸軍大演習よりも以前、大正天皇の即位式大典を祝った記念碑で、大正5年(1916年)5月に建立されたそうです。
何と読むのかなと思ったら、「艱盤快な梨(艱は快なり)」というんだそうですが、「艱(かん)」は「艱難辛苦」という言葉に用いられることからして、苦しい、容易ではないようなことも「快」として受け止めるべきというような意味なのでしょうかね。
こちらは、「皇太子殿下御野立所碑」というもので、明治44年(1911年)、後の大正天皇となる当時の皇太子殿下が北海道に行啓され、当時の帝国製麻会社札幌工場、大日本麦酒会社札幌支店、歩兵第25連隊、月寒種畜場などを視察されたことを記念する碑です。
敷地内には、開拓移民が使用していた農機具がこうして保存されています。
これは・・・、下の小さな扉が、恐らくだけど中から灰を取り出すためのものとすると、何かを焼くために用いられたものでしょうか。
昔のストーブに、中から灰を取り出すための小さな扉があったのを覚えています。
では、続いて館内へ入ってみましょう。