3月になりました。
函館で過ごすのも残り一ヶ月です。
近日中に内示が出るので、具体的な行き先はその時までとして、最後の一ヶ月間は、日常の記事の合間に、この十年間を振り返る記事を書いていきたいと思います。
函館に住むのは2008年が初めてだったけど、それまでも一人旅で来ていたり、大学の同級生が住んでいて何度か遊びに来たりしていたので、函館駅周辺や西部地区、それに五稜郭周辺は多少土地勘はあり、一度住んでみたいという気持ちも持っていました。
そんなこともあって、前任地の帯広を離れる際、行き先が函館だと聞かされた時は、地元札幌ではなくて残念という気持ちもありつつ、「おお、それは楽しみ!」という気持ちになったのを覚えています。
(今だから言うけど、実は私の周囲では、異動先について、函館説の他に室蘭説も流れていたようでした。もし室蘭だったら、今頃私はどうなっていたことか・・・)
おなじみの函館駅。
この写真を撮ったのは、2008年の3月8日、部屋探しで来たとき。
帯広を早朝に出て、特急列車を乗り継ぎ、函館には昼過ぎに到着していたと思います。
駅に降り立ち、この写真を撮ったときは、「これからこの町で暮らすんだなあ」という思いを強く抱いたのを覚えています。
部屋探しは確か四箇所(本町界隈で二箇所、「杉並町」電停側で一箇所、離れてJR五稜郭駅側でも一箇所)見たのだけど、最終的に、帯広で住んでいた部屋と構造が似ていたことを理由に、写真のこの部屋に決定。
当時で築十一年、1LDKで家賃は駐車場込55,000円。
この部屋には、向こう四年間住むことになりました。
かくして部屋も決まり、3月28日に荷物搬入と住民登録を済ませ、函館市民としての生活が始まりました。
函館の前の帯広は三年、その前の釧路も三年だったので、よもやこのときは、向こう十年間(途中江差の二年間も含めて)この町にお世話になろうとは思っていなかったでしょう。
函館で過ごすのも残り一ヶ月です。
近日中に内示が出るので、具体的な行き先はその時までとして、最後の一ヶ月間は、日常の記事の合間に、この十年間を振り返る記事を書いていきたいと思います。
函館に住むのは2008年が初めてだったけど、それまでも一人旅で来ていたり、大学の同級生が住んでいて何度か遊びに来たりしていたので、函館駅周辺や西部地区、それに五稜郭周辺は多少土地勘はあり、一度住んでみたいという気持ちも持っていました。
そんなこともあって、前任地の帯広を離れる際、行き先が函館だと聞かされた時は、地元札幌ではなくて残念という気持ちもありつつ、「おお、それは楽しみ!」という気持ちになったのを覚えています。
(今だから言うけど、実は私の周囲では、異動先について、函館説の他に室蘭説も流れていたようでした。もし室蘭だったら、今頃私はどうなっていたことか・・・)
おなじみの函館駅。
この写真を撮ったのは、2008年の3月8日、部屋探しで来たとき。
帯広を早朝に出て、特急列車を乗り継ぎ、函館には昼過ぎに到着していたと思います。
駅に降り立ち、この写真を撮ったときは、「これからこの町で暮らすんだなあ」という思いを強く抱いたのを覚えています。
部屋探しは確か四箇所(本町界隈で二箇所、「杉並町」電停側で一箇所、離れてJR五稜郭駅側でも一箇所)見たのだけど、最終的に、帯広で住んでいた部屋と構造が似ていたことを理由に、写真のこの部屋に決定。
当時で築十一年、1LDKで家賃は駐車場込55,000円。
この部屋には、向こう四年間住むことになりました。
かくして部屋も決まり、3月28日に荷物搬入と住民登録を済ませ、函館市民としての生活が始まりました。
函館の前の帯広は三年、その前の釧路も三年だったので、よもやこのときは、向こう十年間(途中江差の二年間も含めて)この町にお世話になろうとは思っていなかったでしょう。