北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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西本願寺函館別院

2024-09-25 20:00:00 | 函館

 

 

東本願寺函館別院 - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

どうやら体調も問題ないようなので、西部地区の「王道コース巡り」を再開します。第3チェックポイントはこちら。「二十間坂」の西側にある「東本願寺函館別院」。所謂「お...

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西部地区にある、「真宗大谷派(東本願寺)函館別院」さんは、2028年12月まで修復工事中ですが、ガイドコースに入っているので、外観のみご案内しています。

で、これまで2回、こんな質問を受けました。

 

「(函館には)西本願寺はないのですか?」

 

 

 

はい、あります。

「浄土真宗本願寺派(西本願寺)函館別院」さんが。

 

 

江戸時代、松前藩においては、宗教政策により、現在の本願寺派は、寺院の建立や布教活動が長く禁止されてきた歴史がありました。

1857年(安政4年)、江戸幕府より本願寺派北海道開教の公許が出ると、陸奥國(現在の青森県)にあった「願乗寺(がんじょうじ)」というお寺の住職の次男であった「堀川乗経(じょうきょう)」が、本願寺第20代宗主「広如上人」の命を受けて「願乗寺休泊所」を創設し、1877年(明治10年)に明治政府の許可を得て、本願寺派にとって北海道内最初の別院となる「本願寺函館別院」と公称することになりました。

それが、現在に至るこちらのお寺のルーツとなっています。

現在のこの立派な本堂は、2013年(平成25年)3月に竣工しています。

 

 

 

 

 

親鸞上人の像。

 

 

 

先程触れた「堀川乗経」の顕彰碑があります。

 

 

 

 

どういう功績かと言うと、これは以前紹介しているのですが、1859年(安政6年)に完成し、1888年(明治21年)に転注されるまでの間、現在の函館市内を流れていた「願乗寺川(がんじょうじがわ)」という水路の開削を計画したというものです。

当時の函館は、現在の「金森赤レンガ倉庫」辺りよりも東側には人家が少なく、砂州の上にあって井戸水が確保しにくい環境でしたが、このことと、現在も流れている「亀田川」という川の当時の流路は大変氾濫が多かったことの2点から、治水と飲料水確保のために新しい水路が計画されました。

沿岸地域の飲料水確保を可能とし、箱館の街が東部へと発展する契機となったこの水路を、箱館奉行所では「新亀田川」と名付け、市民は、堀川乗経の功績を称えて「願乗寺川」と呼びましたが、やがて沿岸地域に人家が多くなるにつれて川の汚染が進むようになり、1870年代後半からはコレラが蔓延するようになって、願乗寺川がその汚染源とされてしまいました。

このことから、北海道庁は新たな川の開削を決定し、1888年、上の地図にある「新川」への転注完了後、願乗寺川は自然廃河となって埋め立てられ、飲料水確保という所期の目的を、翌年に開通する上水道へと引き継ぐ役割を果たしました。

そんな、今はなき川の歴史と、それに携わった人物の功績が、こうして現在も語り継がれています。

 

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新選組ソフト

2024-09-24 19:58:34 | グルメ・スイーツ

 

「五稜郭タワー」の1階にある「JUICE STAND FRUMiL(ジューススタンド フルミル)」さんというお店、

「フルミル」とは、「フルーツ」と「ミルク」のことだそうです。

 

 

 

ソフ活~五稜郭タワー~ - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

先日も書きましたが、今日は五稜郭公園でガイドをしてきました。昨日の朝、右足のこむら返りの痛み(過去一かもしれないくらいの激痛)で目が覚め、その影響で、まだ少し右...

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ソフトクリームが美味しいということで、以前一度紹介していましたが、そのとき、「次回はこれ」と予鈴をしていたものがありました。

 

 

それがこちらの「新選組ソフト」。

ラムネ味という、ありそうでないような味ですが、少なくとも私は初めてだと思います。

 

 

 

こちらが実物。

どんな味かなと思っていましたが、「山川牧場」さんという、道南地方を代表すると言ってよい有名な牧場の牛乳をベースにしているだけあって、牛乳の風味もしっかりと感じられて美味しかったです。

 

ところで、何故「新選組」で「ラムネ」なのでしょうか。

↑の記事をアップした際、「色が新選組の隊服の浅葱色(あさぎいろ)をイメージしているんですね」というコメントを頂いていました。

確かに、「新選組」の隊服は私も見たことがありましたが、実は、「新選組」=「浅葱色」という式を思い浮かべるのを妨げる要素が私の中にはありました。

何かというと、1992年(平成4年)に放送された「第16回アメリカ横断ウルトラクイズ」で、新選組に心酔している男性挑戦者がベスト6まで勝ち残っていたのだけど、その挑戦者がクイズ中常に着用していたのが、白ベースに、黒い文字で「誠」と記された法被だったことから、大のウルトラクイズファンである私は、それが新選組の象徴だとずっと思っていたのです。

 

 

画像はお借りしてきたものですが、挑戦者が来ていたのは、正にこんな感じの法被でした。

 

 

だけど、違うんですね。新選組といえば、こちらの色だったんですね。

そして、更に調べてみると、この「浅葱色」という色は、「ラムネ色」というんだそうですね。

大変な不勉強ぶりをさらけ出してしまいましたが、今回は本当にすとんと落ちる答えに会うことができて良かったです。

そういえば、昔、「心はいつもラムネ色」というNHKの朝ドラもありましたね。

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カール・レイモンの足跡

2024-09-23 16:13:04 | 函館

 

昨日の「五島軒旧館」の近くにあるこちらの建物。

函館における食文化の歴史に大きな足跡を残した人物にゆかりの建物です。

 

 

 

 

 

何度か紹介したことはありますが、「胃袋の宣教師」と呼ばれた、「カール・ワイデル・レイモン」氏という人物の像。

「レイモンハウス元町店」「カール・レイモン歴史展示館」として使われているこちらの建物、7年前に外観のみ紹介していましたが、中に入ったことはなかったので、入ってみることにしました。

 

 

胃袋の宣教師 - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

元町地区にある「レイモンハウス元町店」。ここは、カール・ワイデル・レイモンという人物が函館に残した大きな足跡を示す場所です。カール・ワイデル・レイモンは、オース...

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2階の歴史展示館から。

 

 

 

 

 

カール・レイモン氏の略歴は、リンクした↑の記事を参照していただくとして、ここで注目したのは、「だから私は”胃袋の宣教師”だと思っているんですよ」というレイモン氏の談話。

「胃袋の宣教師」という呼称は、「いつしか全国のファンからそのように呼ばれるようになった」ということが、いくつかの本やサイトに書かれているのをこれまで読んできましたが、レイモン氏自らもそのように自称していたということだったんですね。

同じ呼称でも、全国のファンが込めた思いと、レイモン氏自身の思いとは多少違う部分もあるのかもしれないけれど、このような一致があることで、よりこの呼称に重みが加わっていると言えるのかなと思います。

 

 

1987年(昭和62年)に亡くなったレイモン氏。

10年後に亡くなった妻の「コウ」さんと共に、函館市内の海の見える墓地に眠っています。

 

 

 

写真や解説板の他にも、ゆかりの品が多く展示されています。

 

 

1階へ。

「レイモンハウス元町店」と呼ばれており、販売コーナーとイートインスペースがあります。

 

 

 

 

 

そのお隣には、かつてのレイモン氏の居宅が保存されています。

解説板のとおり、函館市の伝統的建造物に指定されています。

 

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五島軒旧館~1階~

2024-09-22 16:53:32 | 函館

 

函館の有名な西洋料理店「五島軒(ごとうけん)」の旧館。

1934年(昭和9年)の大火の後に建築された、木造及び鉄筋コンクリート造りの建物で、国の有形文化財に登録されています。

隣接する「雪河亭」というレストランは、高級すぎて敷居が高い感が否めず、まだ一度も行ったことがありませんが、こちらの旧館は、ガイドコースに入ることもあるので、話題作りのためにと思ってお邪魔してきました。

 

 

正面玄関から入ると、ロビーの先に小部屋があります。

 

 

「メモリアルホール蘆火野(あしびの)」という名称がついていますが、こちらは、北海道出身の小説家「船山馨」氏が、函館や五島軒をモデルに、幕末から明治への激動の時代を描いた著書「蘆火野」から名づけられました。

 

 

 

1879年(明治12年)の創業以降、現在に至るまでの歴史年表や、創業当時から使用されてきた食器や調度品などが展示されています。

 

 

今の若い人には「?」かもしれませんが、私ぐらいの世代では、これが「レジスター」であることぐらいは何となく想像がつきますかね・・・。

 

 

ふと疑問に思いました。「レジ」は「レジスター」を略したものだと思っていましたが、それでいいのでしょうか?

色々調べてみましたが、間違いではないみたいです。所謂「POSシステム」が普及する以前、まだバーコードが普及せず、ただ代金を打ち込んで、売買履歴を登録するだけだった時代なら、お店のカウンターにある機械には「レジスター」という表記があり、「スター」を省いて「レジ」と呼ぶ人が大半だったものと思います。

ですが、最近はどうもそういうことでもないようで、こういうサイトを見つけました。

 

 

レジスターとPOSレジの違いを詳しく解説

POSレジとレジスターは、それぞれメリットとデメリットがあります。違いを解説した上で、経営する店舗の状況にあわせ、適切な選択する際の判断ポイントを解説していきます。

CASIO Official Website

 

 

所謂「POSシステム」の流行により、旧型の、売買履歴を登録するだけの「レジスター」と、商品を販売したり、会計を行ったりした時点での販売情報を即時に集計し、その情報をもとに売上数値の分析などができる「POSレジ」とは明確に区分されるようになっているそうです。

なので、「レジ」は「レジスター」を略したものということそれ自体は間違いではないのかもしれませんが、「POSレジ」が普及している現代にあっては、使い方を誤ると恥ずかしい思いをしてしまう言葉なのかもしれません。

 

 

メモリアルホールの紹介に戻りますが、お土産としても人気のレトルトカレーやスープなども沢山展示販売されています。

 

 

これは・・・何のキャラクターでしょうかね・・・。

コスチュームからして、「ファイターズガール」?でも、五島軒と何の関係が?と思っていたら、「艦これ」こと「艦隊これくしょん」に登場する「瑞鶴(ずいかく)」というキャラクターが、北海道日本ハムファイターズとのコラボにより、ファイターズガールのコスチュームを纏っている姿だそうで、その「艦これ」と「五島軒」とがコラボした商品を取り扱い始めたことから、このポスターが掲示されているのだそうです。

 

 

メモリアルホールの外には、これまたレトロな感じの展示が。

 

 

今も弾けるのでしょうか?

 

 

こちらも、今またリバイバルブームを呼んでいるレコード盤を実際に聞くことができるのでしょうか?

 

 

旧館の中にあるカフェテリアの紹介映像が流れていました。

 

 

これは美味しそう。

値段も手ごろだし、近いうちに「ソフ活」で行ってみようと思います。

 

 

本格的な「アフタヌーンティーセット」。

興味はありますけどね・・・(値段が・・・)。

 

 

旧館からレストランへの連絡通路がありました。

2階建てで、今回は1階のみ紹介しましたが、2階にも見どころは沢山あるそうなので、「ソフ活」するときに2階もじっくり見てみようと思います。

 

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蝦夷地の龍馬像

2024-09-21 19:59:24 | 函館

 

青空に高々と右手を掲げる像。

誰の像でしょうかね・・・。

 

 

「蝦夷地の龍馬像」。

そう、かの坂本龍馬の銅像なのです。

 

 

 

 

この銅像は、以前は、市電「十字街」停留所の側にあったのですが、一昨年10月に現在地へ移設されました。

 

 

「現在地」というのは↑のとおりですが、元々の設置場所が海抜約2メートルと低く、東日本大震災を契機に、津波が発生した際に浸水するリスクがあることを考慮して、移設が決定されました。

 

(移設前の龍馬像)

 

函館から始まる日本の夜明け - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

今週の「笑点」で、「『もう少し』で始まる川柳をこしらえよ」という問題に、林家たい平師匠が、「今の日本を憂いて」という前置きで、次のように答えていた。「もう少し龍...

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この像は、長崎市の「風頭公園」や「五島江ノ浜郷」の坂本龍馬像を手掛けた「山崎和國」氏の作品です。

 

(長崎の龍馬像)

 

龍馬と長崎 - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

長崎市中心部から、険しい坂と階段を上って辿り着いた所にある、「風頭公園」。「仮面ライダーW」が面白くなってきたせいもあって、一瞬、「風頭」を「風都」って見間違え...

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ところで、「そもそも龍馬と函館(箱館)ってどういう関係があるの?」という疑問が浮かんでくると思います。

実は、坂本龍馬は、蝦夷地(現北海道)の開拓に大変な意欲を注いでいたとされており、在京の活気ある浪士達や、幕府の解体によって居場所を失いかねない若き侍達のエネルギーを、蝦夷地の開拓と防衛に向けさせようとしていたと言われています。

龍馬は、京都・摂津の浪人達と共に、幕艦「黒龍丸」で蝦夷地を目指す計画を立てていましたが、龍馬に蝦夷地開拓の話をしていた「北添佶磨」や、神戸海軍操練所の塾生であった「望月亀弥太」が、「池田屋事件」(京都三条木屋町の旅籠・「池田屋」に潜伏していた長州藩、土佐藩などの尊王攘夷派志士を、かの「新選組」が襲撃した事件)にて命を落としたことから、龍馬自らこれを断念したとされています。

結局、龍馬は、蝦夷地開拓の宿願を果たせぬまま、中岡慎太郎と共に京都・近江屋で暗殺されてしまいましたが、その遺志を継いだ坂本家の一族が北海道に渡り、札幌をはじめ、道内6ヶ所にその足跡を残しており、特に箱館(現函館)は、甥の「高松太郎」が「小野淳輔」の名で、明治新政府の一員として渡ってきたという事実が残っています。

「小野淳輔」こと「高松太郎」は、1871年(明治4年)に、朝廷から龍馬の跡目相続を命ぜられ、「坂本直」と名乗っています。

 

市民の憩いの場である「函館公園」に近い場所で、市電「青柳町」停留所から徒歩5分もかからない場所にあります。

観光の定番コースからは少し外れているかもしれませんが、オススメのスポットです。

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