龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
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震災以後を生きる(7)

2011年06月11日 08時41分21秒 | 大震災の中で
例3「コト」
日常、私たちは安定した社会基盤の上で極めて多様な生活を営んできた。その中では、数え切れないほどの人間の営みが、複雑多岐にわたって網の目のように張り巡らされ、関係づけられていた。

ところが、大震災以後三ヶ月になるのに未だ職場の建物には水が来ない。

2ヶ月経ってようやく近くの大学に避難し、仕事が再開された。気がつくと県内で最も始業式の遅れた学校の一つになっていた。

拝借した校舎は大学のキャンパスだから、被災校舎よりずっと広々していて、学食・コンビニもあるし、水もでる(笑)。
それでも次第に疲労は蓄積されていく。

高校という「制度」は、高校の校舎に依って成立しているのだと、つくづく分かる。
携帯電話の敷地内禁止が県内共通のルールだが、大学のキャンパスで生徒を呼び出そうとすると、携帯ナシには一仕事だ。「高校ですから」という校長の判断で携帯使用不可は従前通り。

しかし、大学生のように掲示板に張り出して後は自己責任、と言うわけにはいかない。
結果として、担任が大量のモノを抱えながらキャンパス内を走り回ることになる。スーパーの買い物かごか、リュックサックか、両手にトートバッグを提げるか。

まあ、そんなことはたいしたことじゃない。

大学側から正面広場で「缶けり」をやっている生徒がいて困るというクレームも、どうということはない(笑)

被災した間借りだから教室数も限られているし、小さい教室は限られている。だから、一クラス120人のHRになっても当たり前といえば当たり前だ。

しかし、社会的な出来事の制度である「高校」は、そこでは成立しない。

大学生と一緒に生活できるのはすこぶる面白いのだが、「制度」としての「高校」はまるっきりそのままだから、そのギャップは、我々が今まで蓄積してきた身体のありようを改編することで吸収していくより他に手がない。

全員が五月病になる、なんてことはないけれど、ボディブローのようにそれは「微細な裂け目」
として刻まれていくだろう。

無論高校生にとっては、全どんな変化も全ては貴重な経験になる。

しかし、役人たちの右往左往と、環境変化と、従前通りという管理職の発想と、仮住まいの不自由とが次第に自分の心身をきしませはじめているのが分かる。

被災だから。
面白い面もあるから。
そのうち(二年かかるか三年かかるか)新しい校舎ができれば落ち着くから……。

もしかすると、社会の出来事は、こんな風に断層を折々に経験しながら不可逆な変化を被って行くのかもしれないと思う。

ただ、今はまだこんな一見のんきな話をしていられるが、一年後、二年後、彼らの進路選択時に直面することが確実な困難については、漠然とした予感を生徒も保護者も、そして教員も抱えたままだ。

正直今は今を乗り切るのに精一杯で、そんな先のことを考える余裕はない、のが実情だ。

本当に私たち教員が一刻も早く共有しなければならないのは、服装指導のマニュアルじゃないことだけはたしかなんだけどね。

社会的事象平面の基盤が破壊され、その後もフィジカルな地面とともに、グニャグニャ揺れ続けている。加えて放射能飛散のトッピングがあり、風評被害があり、企業の撤退の危険も課題になってきている。

雇用の喪失→収入の途絶→就学困難

の負のスパイラルは目の前ではないのか?

問題はだから、足元から揺らいでいる、という現実の上に、社会的な「コト」を営まねばならない「揺らぎ」の不安定さなのだ。
それは、「地面」が不安定だというだけでは済まないのです。



震災以後を生きる(6)

2011年06月11日 01時26分58秒 | 大震災の中で
被災地では全てのモノが引き裂かれている。
何度も繰り返すが、それは大まかな
「人為と自然」
というふたつの区分、つまり二元論的な対立の二極に分裂しているのではない。

そういう大雑把なはなしをしていくと、下手をすれば人為=西洋文明vs自然=日本の精神文化みたいなスットコドッコイの見解を招来することになっちまいかねない 。

原発賛成派と原発反対派
でもいいけど、たのむからそういう単純明快な話は、やめてほしい。

例えばね、私たちが被災地で不便な生活を強いられているってことは、その場所において具体的に幾重にも裂け目が入った
モノ・ヒト・コト・トキ
を多重に生きさせられていることなのです。


例1「トキ」
先に進めばいいじゃないか、くよくよ震災以前を振り返っても仕方がない
vs
なぜ自分だけがここにいるのだろうあのときに失われたモノヒトコトトキをどうあつかえばいいのか

私達はこの二つの「時間」を同時に生きなければならない。
どちらかを選ぶわけにはいかない。

死の中で生を、生の中で死を思うことでしかモノを考えられない。

引き裂かれた生を生きる、というほど大げさなものではないのかもしれないが、単に参照すべき過去の出来事とするにはことが大きすぎ、同時に微細なところまで入り込んでいる。

それは異なった立場の対立関係というより、そのトキのズレをさまざまなレベルで、同時に、身体の「中/外」に抱えつつ生きる、と言った方が実状に近いのではないか。



例2「モノ」
福島県の原乳出荷制限が解かれた。
他産地のものとブレンドされたら分からない、と危惧するTweetがあった。
福島産のものはそんなに危険か?
といいたくなる気持ちと、自分自身も原発事故に伴う放射能汚染を心配している気持ちとに引き裂かれる。
そして、ここが重要なのだが、引き裂かれるというのは、二つの立場があるというのではない。福島の産品に対する思いは、福島の名を生きるものとしては、分裂したり二つの立場になったりはしない。

福島の「名」をもって生きるものそれ自体が
裂け目(=聖痕)
であり、それを生きることにならざるをえないのだ。

原発推進か、反対かなんて話じゃないのだ。それをいえばむろん反対さ。それはそうだ。福島はメチャクチャになっていくのだから、これから更に。

でもね、福島産のモノは、それをいえばいうほど徹底的に排除されるでしょう?
それは私たちが生きること自体が否定されることでもあるのです。

復興というのは私にとって、この
「人為」=&≠「自然」
という二つにまたがった傷を、ブロッコリーも、校庭の砂も、人の暮らしも、全てがその亀裂を刻印されて生きているということを、人々が受け止め直せるようになる、と言うことを意味している。

そんな日が果たして来るのだろうか。忘却装置が作動するのを待つほうが手っ取り早いのではないか?
そういう思いさえ胸をよぎる。