汚染の程度はさまざまあれど、福島県内で放射能に汚染された瓦礫をどこに持って行くか、といえば、とうてい福島県以外の場所に移設することは考え難いだろう。
ま、世間とはそういうものである。
「日本は一つじゃない」なんてこんなところでひねくれるつもりもないが、NIMBY(Not In My Backyard)問題の典型例として後世に残るんだろうな。
研究者諸君、頑張ってください。
とはいえ、生活をしている我々にとっては焦眉の急、喫緊の課題、存亡の秋、火急の問題、である。
瓦礫とか農業漁業の生産物については
「えんがちょきった、カギしめた~っ」
と言われてしまうのはやむを得まい。
別のニュースでは、福島県北部のブロッコリー出荷制限地区の生産者が、県中産と偽って、県産品応援のイベントにその出荷停止のブロッコリーを出荷、40個が売れちゃった、と報道されていた。
まいったまいった。
突然「えんがちょ」=放射能をこすりつけられたその県北の生産者にしてみれば、青天の霹靂というか、不条理の十字架を背負わされたというか、「なんでおれらの丹精込めた野菜が」という悔しい思いがあるだろうね。
それを応援イベントに偽って出荷し、イベントごとぶちこわすという多重の不幸再生産。
これからこういうことは次々に起こっていくのじゃないかな。
起こらないとすれば、人が生産の現場から立ち去ることによって収束していくのかもしれない、とさえ思う。
正直、ことしの夏から秋、だれが果物王国福島の果物を購入してくれるというのだろう?
毎年のように大切な知り合いに送っていた桃やリンゴを、今年は「普通に」贈れるだろうか?
来年は?再来年は?
不思議なことに、あまりの理不尽さゆえにか、「憤り」を噴出させることにはなかなかならない。
一度憤ってしまったら、今自分の前に与えられた世界を一挙に拒否することになる。
そしてそれは、非常に不安定な今の自分たちを、ますます追い詰めていくことになりかねない。
他人のことは分からないけれど、私がここ福島で日常生活を営んでいるのは、
「冷却作業に失敗して、もう一度原発が爆発し、風がこちら側に吹いたら終わりだな」
とお互いに笑いながらも、ここを去ってしまったら、止めどない「原発流民」が発生するのだろう、ということに自分の想像力がついていけないからかもしれない、と思う。
あり得ないことが起こった、その後を生きる、というのは、思ったよりいろいろ複雑で大変なものなのだ、とじわじわわかりはじめている。
「人災だ」
と責任を追及する報道などを観ると、徹底的に検証はしてほしいと思う一方で、、犯人捜しのようなトーンを発見すると、少なからず「いらっ」とさせられる。
犯人なんて探さないで、という優しい前向きの気持ちでは無論ない。
いったんバックドラフトのように収まりかけた心の中の火が再度着火したら、もう、この不安定な被災=避難の中で不安定な安定を求めて日常をまさぐっている自分たちの基盤それ自体が不可逆的に「壊れて」しまうことを怖れるからかもしれない。
現在進行形の心の動きは、陽炎のようにゆらぎつづける。
像を確定すれば、すぐに嘘が混じってしまうようで、それも切ない。
ただ、それでもこうやって日々日記を書き続けているのは、いつか、公共的なる基盤を再構築して、そこで「今」を振り返った時、考え直すための「資料」を残しておきたいからだ。
事件の記録、ではない。
自分が生きていることやその基盤自体が不確かになってしまっているからこそ、掻き傷のように、表面に爪を擦りつけておきたいのである。
ま、世間とはそういうものである。
「日本は一つじゃない」なんてこんなところでひねくれるつもりもないが、NIMBY(Not In My Backyard)問題の典型例として後世に残るんだろうな。
研究者諸君、頑張ってください。
とはいえ、生活をしている我々にとっては焦眉の急、喫緊の課題、存亡の秋、火急の問題、である。
瓦礫とか農業漁業の生産物については
「えんがちょきった、カギしめた~っ」
と言われてしまうのはやむを得まい。
別のニュースでは、福島県北部のブロッコリー出荷制限地区の生産者が、県中産と偽って、県産品応援のイベントにその出荷停止のブロッコリーを出荷、40個が売れちゃった、と報道されていた。
まいったまいった。
突然「えんがちょ」=放射能をこすりつけられたその県北の生産者にしてみれば、青天の霹靂というか、不条理の十字架を背負わされたというか、「なんでおれらの丹精込めた野菜が」という悔しい思いがあるだろうね。
それを応援イベントに偽って出荷し、イベントごとぶちこわすという多重の不幸再生産。
これからこういうことは次々に起こっていくのじゃないかな。
起こらないとすれば、人が生産の現場から立ち去ることによって収束していくのかもしれない、とさえ思う。
正直、ことしの夏から秋、だれが果物王国福島の果物を購入してくれるというのだろう?
毎年のように大切な知り合いに送っていた桃やリンゴを、今年は「普通に」贈れるだろうか?
来年は?再来年は?
不思議なことに、あまりの理不尽さゆえにか、「憤り」を噴出させることにはなかなかならない。
一度憤ってしまったら、今自分の前に与えられた世界を一挙に拒否することになる。
そしてそれは、非常に不安定な今の自分たちを、ますます追い詰めていくことになりかねない。
他人のことは分からないけれど、私がここ福島で日常生活を営んでいるのは、
「冷却作業に失敗して、もう一度原発が爆発し、風がこちら側に吹いたら終わりだな」
とお互いに笑いながらも、ここを去ってしまったら、止めどない「原発流民」が発生するのだろう、ということに自分の想像力がついていけないからかもしれない、と思う。
あり得ないことが起こった、その後を生きる、というのは、思ったよりいろいろ複雑で大変なものなのだ、とじわじわわかりはじめている。
「人災だ」
と責任を追及する報道などを観ると、徹底的に検証はしてほしいと思う一方で、、犯人捜しのようなトーンを発見すると、少なからず「いらっ」とさせられる。
犯人なんて探さないで、という優しい前向きの気持ちでは無論ない。
いったんバックドラフトのように収まりかけた心の中の火が再度着火したら、もう、この不安定な被災=避難の中で不安定な安定を求めて日常をまさぐっている自分たちの基盤それ自体が不可逆的に「壊れて」しまうことを怖れるからかもしれない。
現在進行形の心の動きは、陽炎のようにゆらぎつづける。
像を確定すれば、すぐに嘘が混じってしまうようで、それも切ない。
ただ、それでもこうやって日々日記を書き続けているのは、いつか、公共的なる基盤を再構築して、そこで「今」を振り返った時、考え直すための「資料」を残しておきたいからだ。
事件の記録、ではない。
自分が生きていることやその基盤自体が不確かになってしまっているからこそ、掻き傷のように、表面に爪を擦りつけておきたいのである。