龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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震災以後を生きる(12)

2011年06月23日 02時00分36秒 | 大震災の中で
一ヶ月遅れで授業が開始し、仕事上の支障についてさまざまな手当をしながら低空飛行を続けている。

しかし、生活の基盤を失った状態で、全てを「意識的に運営」し続けていくことは、不可能に近いのだ、と最近身に沁みて分かってきた。

生活環境の基盤というか地盤というか、それが「ぐにゃぐにゃ」のままでは、少ずつ余裕が目減りしていき、三ヶ月を過ぎたあたりから、心も体もぎくしゃくし始めている。このままではフリーズしてしまいそうだ。

とりたてて何が問題、というわけではないのだ。
ただ、環境が少し変わっただけ、といえばそれだけのことに過ぎない、とも言える。

だが、どうもそういって済ませるわけにはいかないらしい。
自分だけが揺らいでいるなら、環境に合わせればそれでとりあえずはやりすごせる。
自分は外部の定点にいて観測できるなら、環境が揺らいでいてもそれは計測・判断が可能だ。

そうではなく、自分も他者も環境も「仮の宿り」の状態が続くと、その現実のリアリティを保つために、常になんらかの「努力」なり「対応」なりをし続けなければならない。

結局、
「人は大地を離れては生きられないのよ」(『天空の城ラピュタ』)
ということなのだろう。

仮設住宅の入居を渋ったり、避難所より環境が良くなっているはずの仮設でも満足できない被災者の気持ちが、ほんの少しだけ分かってきたような気がしてきた。

東電第一原子力発電所の汚染水処理も綱渡りが続いているという。

「処理システムが稼働しないと29日に汚染水があふれる可能性がある」
と6/22(昨日)夜の日経新聞サイトに記事が載っていた。

私達(これは福島だけの問題ではなく、本当に日本全体の問題)は、ただ祈るようにして、処理の行方を見守るしかない。

忘却装置に身も心も委ねて日常に還る、という道は完全に絶たれているといっていいだろう。

そうでなくても未だに余震が続いているというのに。

さまざまな層において、存在の基盤が根底から揺れ続けているのだ。
地面も、生活も、社会も、原発事故も、そして政治も。

ほしいのは、無意識につつがなく進行していく穏やかな時の流れと、何も考えずに包み込んでくれる空間の「堅牢さ」なのだけれど。

これほどに当たり前のことが「ないものねだり」になってしまう現実。

被災者が抱える「沈黙」や、折に触れてさまざまに発する「No」は、そういう「過去」と「今」と「未来」が、多重に寸断されてしまい、あられもなく剥き身の「生」が「生活それ自体」の不安定さに擦られて摩耗していく不安と無力感にさいなまれた悲鳴のようなものなのかもしれない。

被災者というには恵まれた環境で暮らしているはずの自分たちではあっても、ちょっと油断すると全てが齟齬を来してしまうのだから。

さて、そんな非日常的日常を、どこまで続けていけばいいのだろうか。

東電第一原子力発電所の事故処理に話を戻せば、汚染水が、果たして全て敷地内にコントロール可能な状態で存在しているのかどうか、さえ怪しいものだ、と、多くの県民(そして国民(そして世界中の人々))は感じているのではないか。

地下にどれだけ染み出しているのか?
そしてそれは既に海に流れ出てはいないのか?
これから梅雨時期と汚染水処理の不具合が重なれば、大量の「超高濃度汚染水」がだだ漏れして海に流れていく危険はないのか?

水産庁は福島県沖のカツオ漁にokを出した、と昨日の報道にあった。
本当かな?
本当に大丈夫なのかな?

私達は、大震災の全てが上手く処理され、復旧・復興のメドが立ち、事故も収束して安定した日常が戻ることを強く願っている。

しかし、現実は実に様々なレベルで「不安定」な「今日」を「生かされている」と言わねばならない。

具合が悪くもなるよねえ……。