龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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大震災以後を生きる(31)NHK合唱コンクール福島大会での地震

2011年08月20日 10時36分37秒 | 大震災の中で
昨日(8/19金)、福島市音楽堂でNHK合唱コンクールの福島県大会があった。
福島県は合唱王国で有名だ。審査員もコメントしていたが、圧倒的力量の高校生団体が多数活動している。
今回も、橘高校、安積黎明高校、葵高校など全国大会で名を聞くところが出場した。

今回は副顧問で引率手伝いだったため、久しぶりに参加校全ての演奏を聴くことができた。
しかも無料(笑)。
仕事なのにとても贅沢な1日になった。
印象的だったのは、郡山高校の演奏だ。豊かな表情の声が指揮者と対話しつつ、その結果より高次のアンサンブルとして観客に提示することが叶っていると感じた。

高校生のいわゆる普通に上手な高校の演奏は、指揮者が合唱を自在に「操り」、その結果の「音楽」を生徒が「楽しんで」観客に差し出す、というものが少なくない。
でも、こういっちゃなんだけれど、高校の教師の指揮棒程度の音楽を、手下の高校生を使って「表現」しようなんざ、ちゃんちゃらおかしい、と思ってしまうときがある。

別に高校生がそれで本当に楽しければいいんですけどね。
あるいは、その高校教師の棒がそれなりに高い水準の解釈であれば、今ひとつ教育活動としては釈然としなくても、まあ聴けてしまうということもある。

でも、郡山高校の演奏は、生徒が楽しそうでね。しかも、それが「売り」じゃない。指揮者の「音楽」も全く押し売りじゃない。

そこに成立した音楽、指揮者と演奏者の間、音と音との間、その間に観客の耳が立ち尽くす快感、そんなものを感じました。ホールの響きとか、こちら聞き手のコンディションとかもあるから、一概には言えないんですが、私としては1押しでした(^^)。
結果は
橘高校1位、郡山2位、安積黎明3位で3校東北大会出場
だったんですけどね。

橘うまいけど、観客とコラボって感じじゃなかったなあ。
安積黎明は何かやろうとしてるけど、完成してない感じ。

素人が何いうかって話ですが。
でも、あらかじめ存在する何かを表現するために、あるいはあらかじめ向こう側に存在する何かを受け取るために、ホールに足を運ぶんじゃない、と思う。
その場で音楽が成立するその「間」に立つからこそ、ライブで聴く意義があるのでしょう。

震災後、ライブの演奏の意義の大きさを、改めて感じています。
審査員も最後にコメントしていたとおり、これだけの高水準の音楽が高校生の手によってなされている福島県の合唱の豊かさを、被災民でもある福島の県民ともっともっと共有してほしいし、そういう企画がたくさんほしい、と思いました。

ちなみに、喜多方高校の演奏中、午後2時半過ぎの福島県沖地震によって演奏が中断しました。
ステージに立っていても、観客の側にいても、地震で演奏が中断したのは初めての経験でした。
確かに福島県は体感余震がほぼ毎日のように続いているけれど、こうして生の演奏が中断されることが自分の「日常」で起こってくるとは。

そういえば福島県を離れて旅行していたときには地面が揺れなかったなあ、と改めて実感。

原発の事故(起こってしまった現実&今続いている現実&将来起こるかもしれない不安)

今後長く続く放射能汚染

日々起こっている余震

に囲まれながら生きている私達の生活は、まあ「あり得ない」ことだと改めて感じました。

直接関係ないけど、北海道の原発再稼働は止めた方がいいと福島にすむ住民の一人として切実に思います。

北海道が福島のようになったらほんと、大変です。それは青森でも新潟でも佐賀でも福井でも同じなんですがね。

原発は第一次産業を根こそぎ圧倒的長期に渡って「ダメ」にしてしまうリスクを背負っている、ってことです。
コスト高とか経済言語に還元する人もいるけど、そしてそういう言語しか通じない人もいるけれど、これはそーゆーことの次元ではなくて。
実際に起こった事故を見て、

そのリスク管理の必要性と、
私達の経済空間、生活空間、政治空間の根本的な組み替えの必要性と
を切実に感じているということです。福島の住民の一人として、ね。

既存の原発推進路線と枠組みの中で「安全宣言」とかいくら出しても、議論は噛み合わない。
単なる手続きや法律遵守の問題でもありませんね。現状・現実が大きく変わったのだから。

悪いことは言わないから第一次産業中心の場所の原発再稼働は止めておけって話です。
農業や漁業、林業の場所は、原発事故にはなじまない。
無論、だからといって人口密集地帯である東京や大阪近辺が「向いている」ってわけでもないでしょう。
繰り返すけれど、悪いことは言わないから、とにかく北海道の原発再稼働は止めておいた方がいいと思います。

ま、電力会社にそれをストップする志向が生じるわけもないし、地方自治体の首長に、ストップの意思を示す志向の枠組みもあるわけがないし、だから福島の現状からすると非常に現実と乖離した選択がなされてしまうのでしょう。

「それでも日本は原発を選んだ」にならないためには、
原発推進vs原発廃止
の二項対立に止まらない基盤・枠組みの根底からの立ち上げを粘り強くやっていく必要がありそうです。