今これを打っている新宿の喫茶店のテーブルに
「当店では十五穀パンはアメリカ産米を、白玉はタイ産米を使用しています。」
とある。これは日本産米(とか福島県米とか)じゃないから安全ってこと?
指し示してる「文脈」を考えてしまう。日本産米じゃないからゴメンナサイっていう話じゃないよね(こんなことを書くとタイとアメリカにゴメンナサイですが)。
いろいろゴメンナサイ的排除が進行してるなあ。そのうち「土地」も汚染されてない日本以外のものがよい、ということになったりして(日本の国にゴメンナサイ)。
ちなみに、東京のホテル、線量そんなに変わらないですね。
福島県のいわき市と。
0.1~0.18マイクロシーベルト/hの表示。
たぶん首都圏だってマダラに線量が高いのでしょうね。
「フクシマ」もマダラに線量が高いのだけれど、記号化されて便利に排除されている。
その枠組みを大きく取ると、外国産米が安全って話になるのかな(考え過ぎ)?
この「ケガレ」をカテゴリカルに排除して安心してしまう心性は、放っておくとどんどん世界が狭くなる。
他方、その偏狭な視野のまま「世界標準」を目指すと、これはこれでえらいことになりそう。
後者の例でいえば、米の先物市場再開も、市場に米を委ねる前にやることがいっぱいあると思うなぁ。
生産者側からいえば、急激な市場化は零細な兼業農家を一気に排除する危険がある。
消費者から言えば、貧乏人はいざとなったらやすい米を食べろということになりかねない。
爆発的な高騰を防ぐのが先物取引の目的だっていう原理論はわからないでもない。
しかし「主食としての米」っていう私たちの「了解」をまな板に乗せて切り刻むためには、まず小さい現実と大きな改革の二つを同時に進める繊細さとしたたかさが必要だ。
まずは徹底した情報の公開とシミュレーションの提示、そして方向性の哲学と、考えられるリスクの徹底的な説明が必須だ
今の米の生産・流通の現状が中途半端な感じがするのは素人の私でもよくわかる。
だが、繰り返すが米は主食だ。
農民が土地を離れては日本の米作は成り立たない。
高齢化する兼業農家に将来を任せられないのは自明だとしても、その改革がどうして米の先物市場からなのか。
むしろ日本人は、そして日本の若者は今むしろ、土地と、自然と、モノと向き合うことを潜在的には求めているのではないか。
たんなる「自然」に親しむ快適生活のレベル、個人的ライフスタイルのレベルではなくて、生き方というか哲学のレベルで「日本人の主食としての米」は考えられるべきだろう。
経済の問題から先に語れること自体の不幸を感じる。
もっと人が農業に流れていける仕組みを(福島は放射能除去が先だけれど)整えていくことが必要なんじゃないかな。
そういうグランドデザインがあって、兼業零細農家の高齢化&後継者不足をどうするか、トータルな議論をしましょう。
なんだか、「改革」という名の「効率化」「透明化」だけが先行しそうでいやな雰囲気がするなあ。
どうなんでしょう、そのあたり。
ウォッチしてかなくちゃならないです。
今までなんにも考えていなかったことを自覚。
「当店では十五穀パンはアメリカ産米を、白玉はタイ産米を使用しています。」
とある。これは日本産米(とか福島県米とか)じゃないから安全ってこと?
指し示してる「文脈」を考えてしまう。日本産米じゃないからゴメンナサイっていう話じゃないよね(こんなことを書くとタイとアメリカにゴメンナサイですが)。
いろいろゴメンナサイ的排除が進行してるなあ。そのうち「土地」も汚染されてない日本以外のものがよい、ということになったりして(日本の国にゴメンナサイ)。
ちなみに、東京のホテル、線量そんなに変わらないですね。
福島県のいわき市と。
0.1~0.18マイクロシーベルト/hの表示。
たぶん首都圏だってマダラに線量が高いのでしょうね。
「フクシマ」もマダラに線量が高いのだけれど、記号化されて便利に排除されている。
その枠組みを大きく取ると、外国産米が安全って話になるのかな(考え過ぎ)?
この「ケガレ」をカテゴリカルに排除して安心してしまう心性は、放っておくとどんどん世界が狭くなる。
他方、その偏狭な視野のまま「世界標準」を目指すと、これはこれでえらいことになりそう。
後者の例でいえば、米の先物市場再開も、市場に米を委ねる前にやることがいっぱいあると思うなぁ。
生産者側からいえば、急激な市場化は零細な兼業農家を一気に排除する危険がある。
消費者から言えば、貧乏人はいざとなったらやすい米を食べろということになりかねない。
爆発的な高騰を防ぐのが先物取引の目的だっていう原理論はわからないでもない。
しかし「主食としての米」っていう私たちの「了解」をまな板に乗せて切り刻むためには、まず小さい現実と大きな改革の二つを同時に進める繊細さとしたたかさが必要だ。
まずは徹底した情報の公開とシミュレーションの提示、そして方向性の哲学と、考えられるリスクの徹底的な説明が必須だ
今の米の生産・流通の現状が中途半端な感じがするのは素人の私でもよくわかる。
だが、繰り返すが米は主食だ。
農民が土地を離れては日本の米作は成り立たない。
高齢化する兼業農家に将来を任せられないのは自明だとしても、その改革がどうして米の先物市場からなのか。
むしろ日本人は、そして日本の若者は今むしろ、土地と、自然と、モノと向き合うことを潜在的には求めているのではないか。
たんなる「自然」に親しむ快適生活のレベル、個人的ライフスタイルのレベルではなくて、生き方というか哲学のレベルで「日本人の主食としての米」は考えられるべきだろう。
経済の問題から先に語れること自体の不幸を感じる。
もっと人が農業に流れていける仕組みを(福島は放射能除去が先だけれど)整えていくことが必要なんじゃないかな。
そういうグランドデザインがあって、兼業零細農家の高齢化&後継者不足をどうするか、トータルな議論をしましょう。
なんだか、「改革」という名の「効率化」「透明化」だけが先行しそうでいやな雰囲気がするなあ。
どうなんでしょう、そのあたり。
ウォッチしてかなくちゃならないです。
今までなんにも考えていなかったことを自覚。