龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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大震災以後を生きる(29)除染した結果の廃棄物をどう処理するか?

2011年08月13日 12時48分09秒 | 大震災の中で
昨日の夕方、福島ローカルのTVニュースで、伊達市の除染した放射性物質の保管場所についての問題を取り上げていた。
学校校庭の表土などを取り除いて除染するのはいいけれど、それらの物質を長期的にどう保管するか、その候補地に伊達市の職員が説明会を開いたところ、地区住民から
「学校を除染することと、自分たちのそばに処分/保管場所を作るのは別」
「いったん認めてしまったら、あそこは<処分場>だとなって、たくさんの汚染物質が持ち込まれるのではないか、という不安があるから反対だ」
という声が上がる。
市職員は
「その通りだけれども、真っ正面から説明して、必要性を理解してもらう以外にない」
というコメント。

難しい問題だ。京都市の陸前高田からの薪を受け入れるか拒否するか、の問題でも二転三転揺れ動く。
こういっちゃなんだが低線量とおぼしき一回限りの「薪」だってそんな風に「大問題」なのだ。

ましてや除染した汚染物質は、当然のことながら高線量で、長期保管・管理の対象である。
「うちの地区へどうぞ」なんて請け合える人はいるわけがない。

さてではどうすればいいのか?
たぶん、問題の円満な解決策はないのではないか。
そう思えてならない。

福島県の、原発事故現場の近く、高線量地区に、そういう耐震機能の高い保管所を隣接させ、除染した物質を保管する、ぐらいしか思いつかないのだ。

完全に安全だっていうのなら、東京都庁の地下にでも保管してもらいたいぐらいだけれど、まあ、ないわね。
だって、人口密度が高いし、それを拒否できるお金や権力もあるし。

人口密度が比較的低くて、お金が比較的なくて、他の産業がないところだからこそ、たとえば六ヶ所村もたとえば福島県の双葉郡も「選ばれた」わけだ。
それが原発事故が起こったからといって、その「構造」はまだ何も変わってはいない。

そしてたとえば京都が自己防衛するのは、遙かに高線量汚染地域にいる者としては「なんだあ、期待させといて」とつまらなくは思うけれど、「外側」の反応としては「当然」だと思う。玄侑宗久氏も「責めるまい」とコメントを出していた。私もそうだと思う。

さてでは、どうすればいいのか。
高い線量の地区は、高い線量の地区なりに、問題と向き合っていかねばならないのだ。
繰り返しになるが、「全部逃げろ」でもなく「今のままで大丈夫」でもなく。

たとえば飯舘村では、どこか谷一つを汚染物質の保管場所として埋めなければ低線量化ができないのだという。

どの谷を選ぶのか。そんな選定を果たして誰ができるのか。選ばれた地区の人は承服できるのか。

万人が満足する「解」など存在しないのだ、というところから、私達は思考と議論と選択をしていかねばならないのだ。
そろそろ、福島県人は、本当に粘り強く「思考」することを、「世界」から求められているのだ、と気づきはじめている。
他の地区の人たちはどうかな。

別にそんなに頭を使いたいわけじゃないんだけど、たぶんそうする以外に手はない。

もはや、単純明快な「解」など存在しないのだからねぇ。

伊達市の職員と地域の人たちは、どんな形でこの問題と向き合っていくのだろうか。
「国」や「東電」の補償を考えるにしても、それは明確に法で認められた「損害」が必要だ。
そしてそれは生活を元通りにするものではない。

除染費用を請求し、保管費用を請求し、ということは可能だろうが、ただ座して全ての放射能をここから別の世界に転送しろ、みた
いなファンタジーを要求したって実現するはずもない。

微妙な境界線においてこういう問題は無数に起こっている。

さて、明確な「解」のないところで「合意」を形成し、どう「共同体」としてこの「負」の現実に「参加」していくのか。
注視しつづけるとともに、自分の問題として考えなければ。

私なりに方向性はあるけれど、もう少し考えを練り続けていくつもりです。