このあたりスピノザかっこいいなあ。
「事実余は、神がキリストに現れたり語ったりしたことを何処でも読んでおらぬ。ただ、神がキリストを通して使徒たちに自らを示したこと(中略)を読んでいるに過ぎぬ。」(岩波新書P71)
「かくて我々はこう主張する。キリストの外には誰もが表象力の助けに依ってのみ、即ち言葉や影像の助けに依ってのみ神の啓示を受け取ったのであり、従ってまた予言する為に必要なのはより完全な精神ではなくてより活発な表象力なのである、と。」(岩波新書P72)
それに続いて、旧約聖書のヘブライ語における「神」と「霊」の用例を次々に挙げていく。
300年の時を超えてスピノザ本人と同じテキストを「読む」という感触の幸福。
そしてさらに、普通古典を読む為には様々なる予備知識やサポートが必要なのだけれど、この『神学・政治論』(少なくても第一章)は「ノーガード戦法」で読んでもすこぶる読みやすい。
(言うまでもなく、読みやすいからといってきちんと分かっているかどうかはまた別なんですがね)
しかしとにかく、中世の神学のお話に比べると圧倒的に身近であることは間違いない。
『エチカ』以前の外堀が少しは埋まることを期待できるかな。
それにしても、せめて引用されている旧約聖書の部分ぐらいは目を通しておきたくなります。
古典はいつも(いや、読書はいつも)数珠繋ぎです。
じゃあスピノザにとってじ他の預言者と違う「キリスト」とはどんな位置づけになるんだろう?
ってのも気になってきます。