龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCの応援、ソロキャンプ、それに読書、そしてコペンな日々をメモしています。

8/15の昼下がり、スピノザ『神学・政治論(上)』を読んでいる。

2011年08月15日 15時42分20秒 | 大震災の中で

このあたりスピノザかっこいいなあ。

「事実余は、神がキリストに現れたり語ったりしたことを何処でも読んでおらぬ。ただ、神がキリストを通して使徒たちに自らを示したこと(中略)を読んでいるに過ぎぬ。」(岩波新書P71)

「かくて我々はこう主張する。キリストの外には誰もが表象力の助けに依ってのみ、即ち言葉や影像の助けに依ってのみ神の啓示を受け取ったのであり、従ってまた予言する為に必要なのはより完全な精神ではなくてより活発な表象力なのである、と。」(岩波新書P72)

それに続いて、旧約聖書のヘブライ語における「神」と「霊」の用例を次々に挙げていく。

300年の時を超えてスピノザ本人と同じテキストを「読む」という感触の幸福。

そしてさらに、普通古典を読む為には様々なる予備知識やサポートが必要なのだけれど、この『神学・政治論』(少なくても第一章)は「ノーガード戦法」で読んでもすこぶる読みやすい。
(言うまでもなく、読みやすいからといってきちんと分かっているかどうかはまた別なんですがね)

しかしとにかく、中世の神学のお話に比べると圧倒的に身近であることは間違いない。
『エチカ』以前の外堀が少しは埋まることを期待できるかな。

それにしても、せめて引用されている旧約聖書の部分ぐらいは目を通しておきたくなります。
古典はいつも(いや、読書はいつも)数珠繋ぎです。

じゃあスピノザにとってじ他の預言者と違う「キリスト」とはどんな位置づけになるんだろう?
ってのも気になってきます。



大震災以後を生きる(30)お盆の夜、福島にて。

2011年08月15日 12時39分46秒 | 大震災の中で
昨夕、福島市内で、高校の同級会があり、担任として混ぜてもらってきた。
20歳~21歳、大学3年生が主である。

現役合格の人たちは、3年後半の就活開始に向けて進路の心配をしはじめている。
「メディア関係行きたいと思ってるんですよね」
「JICA就職ってどうなんでしょう、TOEICスコアめっちゃ低いんですけど」

一浪組はまだ2年生の夏。
アメリカでレンタカー借りてグランドキャニオンとラスベガス、なんて脳天気な計画を話している。

短大卒の保育士のお姉さんは、2歳児を受け持って日々「トイレ」も「ことば」もぐんぐん成長していく様子を「アメージング!」という表情でうれしそうに話してくれた。

同級生で昔付き合っていた元カップルの片割れの女子は、「なんで貴男に彼女ができて、私に彼氏がいないのっ!ビッグになって見返してやるからね」と気合いを入れていた。

仕送りなしで週6日バイトをこなしている3年の元気印の男の子は、一気コールを続けた挙げ句、階段の踊り場で沈没していた。

今日の昼間はバンドのオーディションだった、っていう彼は、二日の練習じゃ合格しないよね、といいながら楽しそうだった。

ドリカムのバックダンサーオーディションに合格してツアーに参加したというダンサーの彼氏は、
「教職もいいけど、もう少し人生をこっちに賭けてみたい」
って述懐していた。

集まった18人はそれぞれに、二十歳の人生をきらきら多面体に輝かせていて、53歳のおじさんにはいささか眩しい。

でもやっぱり、法学系のゼミでは中央大でも東海大でも「原発事故賠償法の演習やりましたよ」と言っていたし、福島の大学生は「農産物の被害状況や補償関係のことをゼミでフィールドワークしています」とも言っていた。

そして、

「福島に帰りたいんだけれど、今は東京かな」
「東京は嫌だから仙台かな」
「福島の就職はどうなんですかね?」
「福島の教師になりたいけれど、採用がなかったですよね。来年採用があるって保障もないですよね。関東圏なら倍率が低いんだけれど……」

そんな言葉を次々口にする。

「田舎に戻る可能性があるなら教職は取っておいたほうがいいよ」
といつも通りのアドバイス。
でも、今までと違って福島は今後就学人口がさらに減っていくだろう。

それでも、教員は、関東に就職して何年か経てば県をまたいで就職地を変える仕組みがある。
合格の年齢制限もずっと高いし、年齢はハンデにならない。

「ひとまず倍率の低い関東圏の正式採用を狙うのも手だね」
と付け加えた。

本当は戻りたい、という彼らの全てを受け入れる就職口があればいいのに、と思う。
でも、若い彼らを今ただちに強引に引き戻すアドバイスはできなかった。

福島を支えたいという若者のエナジーを活かすためにも、長期的な線量低下のプログラムが不可欠だし、被災地の復興を後押しする雇用のヴィジョンが大切だと切実に思う。

勤務校の普通高校生対象の地元求人は、本当に限られた数と職種だ。

来年の夏の再開を約束して別れたけれど、彼らのうち、福島で仕事を選択する者は多くあるまい。
今はそれでいいと思う。
長く厳しい道のりになるだろう福島県の将来と、彼らの若々しい未来がどこかで出会うことをただ願うばかりである。