龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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福島から発信するということ(26)

2011年08月03日 06時49分29秒 | 大震災の中で
「フクシマの視点」藍原寛子
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110708/221371/
(日経ビジネスオンライン)
必見です!
福島の人が福島について考え、行動し、発信することについての取材を続けているコラム。
彼女自身が福島出身のジャーナリストです。

筆者の視点ももちろん興味深いものですが、そこで取材されている人々の営みそれ自体について知り、共に考え、行動していく「初期衝動」の(その困難さをも含めて!)共有をするためにも非常に有用です。福島の人にまず読んでほしい。共に「大震災=原発事故の以前と以後」を生きることの「意味」を考えつつ生きるために。
もちろん、福島出身の人にも、それ以外のかたにもオススメです。

今回は「フォーラム福島」で企画され現在連上映されつつある「原発・放射能汚染」映画と関連イベントについて書かれています。

印象的だった点をふたつ。
ひとつは、福島の人ばかりではなく福島出身の人たちが福島に戻って共に悩み苦しみながらイベントに参加したり、取材したり、しつつ発信している、という指摘に、改めて勇気づけられました。

「外側からのコトバ」
には、いくらそれが「部分的には」真実を含んでいても、正直「イライラされられたり」もするのです。

そういう意味で福島出身の人たちが戻ってきて地元で改めて発信してくれることの意義は、小さくないと思います。

もう一つの指摘は、原発を映画にすると業界で干される、という現実です。
自主規制もあり、また興行的には完成度の高い優れた作品であっても「入らない」という事実もあり、結果として反原発に関わる表現者は干されていってしまった、という。

詳細はコラムをよまれたし。