龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

「大震災の中で」

2012年01月29日 17時00分47秒 | 大震災の中で
 「大震災の中で」というレポートを、アップしました。
 生徒300人にその題名で書いて貰った「震災体験レポート」の分析メモです。ぜひごらんください。

メディア日記「龍の尾亭」『大震災の中で』

http://blog.foxydog.pepper.jp/?search=%C2%B8%BA%DF%CF%C0%C5%AA%B6%B2%C9%DD

職場で2年生に「大震災の中で」というレポートを300人に書いてもらいました(原稿用紙8枚)が、320人ちかくの生徒数で300編以上集まりましたから、非常に提出率の良い課題でした。
生徒には全員公開を前提として書いて貰いましたから、いずれデジタルアーカイブとして提供したいのですが、なにせ個人作業なので思うに任せません。
とりあえずその300編を読んで分析したことをメモにしてみました。
視点は、死=恐怖をどう捉えるか、ということが1点目、「人為の裂け目」をどう考えるか、が2点目です。
ご笑覧を。

大震災における恐怖の種類

2012年01月29日 16時56分15秒 | 大震災の中で
「大震災の中で」レポート(メディア日記龍の尾亭を参照されたし)

http://blog.foxydog.pepper.jp/?search=%C2%B8%BA%DF%CF%C0%C5%AA%B6%B2%C9%DD
で述べた恐怖の種類について再論。

まず、うちの犬(故人、というか故犬になりましたが)は、大震災の後、かなり強い余震が起きると、そのたびにいつも、なんとかして庭の外に出ようと必死でもがいていた。

彼女にとっては、今ここでの恐怖は、どこか別の場所への逃走によって解消されるしかない。
誰もこの犬の行為を「愚か」と笑うものはいまい。かわいそうだ、とは思うけどね。

人間にも、この「怖れ」(動物的次元)がまずやってくる。
「うわわわ」とおびえて固まる。
あるいはとりあえず外に飛び出したくなる、みたいな。

その次に、揺れが収まらずに大きくなったり、家や地面自体が波打ったりを続けると、
「こりゃ死ぬかも」
という想念がきざす。存在がおびやかされる死の「恐怖」(存在論的次元)である。
これは判断を伴うものであって、動物的なものとは明確に異なる。

反射的に椅子の下に潜るっていうのは、理性的判断が身について「自然と」身体に身についた形で行動に出る、と言う意味では、無意識のレベルの訓練だろう。動物的次元と存在論的次元の間に合理的な理性によって設定・訓練された「反射的次元」とでもいうべきものだろうか。

問題はその後である。

風景のレベルでの畏れだ。
外に出る。津波が襲ってくるのが視界に入る。波打ち、引き裂かれた道路を目にする。
全てが押し流され、あるいはクルマが幾重にも鏡餅のように波に押し寄せられて積み重ねられている。

そういった社会的構築物によって構成された社会的な風景一切が「引き裂か」れ、その裂け目の向こう側から「自然」が顔をぬっと覗かせる、そんな種類の「畏れ」がその後にやってくる。

1,動物的次元の「怖れ」
2,存在論的次元の「恐怖」
3,「人為の裂け目」の次元における「畏れ」

ととりあえず「恐怖」は3つのレイヤーに書き込まれて響き合うように思われるのだ。

さてだが、それらは、それぞれに、ここより他の場所を指さそうとする。

1ではこの地面以外の場所を、あるいは震える身体を収める状態を
2では「死」に逆照射された「生」を
3では「社会的構成=人為」が破けた向こう側における「自然」=の絶対性を

そして同時に、それらが個別にお互いを参照するという行為、つまりは異なったレイヤー(階層)に書かれた恐怖同士が共鳴しあう、ということも起こるだろう。

そういう風に、「大震災の中で」というレポートを300編読んで感じた。

そして、そのそれぞれの恐怖を統合して思考する場合の参照点として「神」とか「仏」とかという「無限者」・「根本原理」が求められるのではないか、という仮説を考えてみたいのである。(この項目、継続します)



「スピノザが来た」という朝日新聞の記事(ニュースの本棚)を読んだ。

2012年01月29日 15時21分56秒 | 大震災の中で
 國分功一郎『スピノザの方法』への言及もあったので(当然ですが<笑>)ちょっと紹介しておきます。

引用開始
「『我思いつつあり』-スピノザは精神と肉体を分けない。彼の哲学では方法はたどると同時にできる道。それは自分の中にある。『誰も自分で考え、その道を見つけるしかない』と國分さんはいう。現代人にはのみ込みにくい方法でもある。」
引用終了

ふむふむ、なるほど「道」かあ、と一人で納得。

今ちょうど親鸞『教行信証』(岩波文庫)の「信」の巻の部分を読んでいて、二河白道のたとえが出てきた。岩波文庫『教行信証』信巻P143~P146

東には群賊悪獣(毒蟲)たち、北には貪愛の水の河、南には憎悪の火の河、河の中央には幅4、5寸の白い道。そこで
「われいまかへるともまた死せん、住すともまた死せん、ゆくともまた死せん。一種として死をまぬがれざれば、われやすくこの道をたづねてさきにむかひてしかもゆかん。すでにこの道ありからなず度すべしと。」

と親鸞は「道」の喩えを示している。

朝日新聞の鈴木繁氏は、『スピノザの方法』の評として「現代人にはのみ込みにくい方法」とコメントしているが、果たしてそうだろうか。

少なくても、東日本大震災と原発事故によって「人為の裂け目」=聖痕を目の当たりにした人間にとっては、たとえばスピノザの「道」、たとえば親鸞の「道」は、現実に取り得る唯一の道として、むしろ身に親しいものと感じられるのではないか、と思われてならない。

だからスピノザが「来た」ってことになるんじゃないかな。

スピノザが来ている、親鸞が来ている、というのは、決して偶然ではあるまい。
(1月29日日曜朝日新聞12版の下には五木寛之『親鸞 激動編』の広告が<笑>)

その場所には、私たち人間の営みに刻み込まれた決定的な「裂け目」をどう受け止めるのかという、誰もが不可能でありながら不可避でもある問いが屹立している。

「死」への恐怖の分析もまた、必要な仕事になってくると思います(後で詳述します)。

ちなみに、。併せて安冨歩の『経済学の船出』にも言及されていたのにはびっくりでした。

彼の非常に聡明かつ大胆な思索の結果であるこの著書ばかりではなく、ある意味ではトンデモ本とさえ見なされかねない『原発事故と「東大話法」』もまた、「不可能かつ不可避」という多重の困難と向き合うときに、内的な衝動から瞳をそらしてはいけない、「立場」だけで発話することはハラスメントを生むという厳しい自覚の上に書かれているとみるべきでしゃないでしょうか。
共依存=母親&妻からのハラスメントから離脱し(『生きる技法』)、立場を優先してなされる発話からも身を引きはがし、「あられもない」個人的な場所に「も」立つという覚悟に支えられた著作として同時に読まれるべきものでしょう。

他にスピノザ関連としてはドゥルーズ『スピノザ-実践の哲学-』(平凡社ライブラリー)についてまとめたという下記サイトが、明快かつ簡潔でお薦めかと。


Spinoza: Philosophie Pratique
http://www.mars.dti.ne.jp/~kells/Essay/spp.html

Spinoza: Philosophie Pratique (2)
http://www.mars.dti.ne.jp/~kells/Essay/spp2.html


『スピノザの方法』『経済学の船出』は、どちらもかねてからお薦めの2冊。
未読の方はぜひ。





合唱曲「わが抒情詩」(詩:草野心平・曲:千原英喜)を聴いて泣いた。

2012年01月29日 01時10分20秒 | 大震災の中で
草野心平が戦後すぐ、昭和23年に発表した詩集『日本砂漠』の中の「わが抒情詩」という詩に千原英喜という人が曲をつけたものである。

>立正大学グリークラブが2007年(平成19年)から2009年(平成21年)にかけて委託初演された作品。
(「合唱道楽 歌い人」のブログより
だそうだ。

今日、淀川混声合唱団の演奏CDが届いた。聴いているうちに泣けてきた。


会津若松市の一箕中の演(フルコーラス)はこちら。

(YOUTUBEの演奏が削除されていたので、別の演奏の方のurlに切り替えました。)


YouTubeの淀川混声合唱団(一部のみ)「わが抒情詩」はこちら(冒頭部分のみ)
http://www.youtube.com/watch?v=2h48wJc0Qzo




https://www.youtube.com/watch?v=UvFGu-fQ2lI

中国から引き揚げてきて、戦後の日本に向き合った心平の詩の抒情が、そのまま震災後の「今」を生きる私に直接届いた、ということだろうか。

慌てて本棚から取り出した岩波文庫版「草野心平詩集」に解説(入沢康夫)によれば、
「昭和21年春に帰国し、故郷上小川村で三カ年弱を過ごしたのち、東京へ居を移す。」
とある。

そして『日本砂漠』の初出は昭和23年5月。
いわき市の小川村に住みつつ、故郷と東京を行き来しながら出版した詩集の中の一編ということになる。
もちろん、内容からしても中国から帰国してからの作だ。

その事実を知ってから、ちょっとましなステレオセットでもう一度聞き直し、改めて泣けてきた。

東日本大震災とそれによる原発事故はやはり「第2の敗戦」であったのだ、ということを、草野心平は60年以上まえに、いかにも彼の詩らしい抒情によって既に指し示していた......そんな乱暴なことさえ思ってみたくなる。

むろん、草野心平は「世界観」の人ではない。屈折は世界の側ではなく常に「詩人の不可避」(高村光太郎)の側にあったと見るべきところだろう。

でも、少なくてもその抒情の「屈折率」は、今の私の心のそれと響き合っている。

原詩はかなり長いもので、曲にはそこから抄録した言葉が使われているのだが、むしろシンプルかつ力強くなった印象もある。
よろしかったらぜひ一度。


「道だかなんだかわからない。」
「ここは日本のどこかのはて」

が沁みます。個人的に、愛唱曲になりました。


わが抒情詩(抄)

くらあい天(そら)だ底なしの。
くらあい道だはてのない。
どこまでつづくまつ暗な。
くらあい道を歩いてゆく。

どこまでつづくこの暗い。
道だかなんだかわからない。
うたつておれは歩いているが。
うたつておれは歩いているが。

おれのこころは。
どこいつた。
おれのこころはどこにいる。
きのふはおれもめしをくひ。
けふまたおれは。
わらつていた。

ここは日本のどこかのはてで。
きのふもけふも暮らしている。
都のまんなかかもしれないが。
どこをみたつてまっくらだ。

去年はおれも酒をのみ。
きのふもおれはのんだのだ。
こころの穴ががらんとあき。
めうちきりん、めうちきりんに
にいたむのだ。

ここは日本のどこかのはてで。
きのふもけふも暮らしている。
都のまんなかかもしれないが。
どこをみたつてまっくらだ。
どこをみたつてまっくらだ。



詩の全文はこちらに。
わが抒情詩:草野心平の詩集「日本砂漠」から
http://japanese.hix05.com/Literature/Kusano/kusano14.jojoshi.html