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8月6日(月)晴れ【冥福を祈って「舎利礼文」】(今朝の日の出と雲)
今日は広島に原爆がおとされた日である。8時15分一瞬にして、多くの命が失われた。それこそ、お骨さえ残らない人が無数にいらっしゃったことだろう。
山本さんという人は、焼け尽くされた叔父さんの家の跡から、燃えていた小さな炎を、福岡星野村に持ち帰り、竈やら仏壇の灯明として、燃やし続けたという。その火は後の人々に受け継がれ、福岡の山中に建てられた「平和の塔」で、62年間消えることなく燃え続けている。この炎は「恨みの炎」から、「平和を願う炎」に変わり、これからも燃え続けていくだろう。
アメリカには、被爆の悲惨さや、未だその後遺症に苦しんでいる人々がいる現実を、ほとんどの国民は知らないのだという。アメリカ人の平和記念館の理事長さん(役職は違っているかも知れない)の願いは、アメリカにこの実状を講演し、核兵器廃絶を訴えたいと、コメントされていた。日本にいると、世界中のひとが原爆の悲惨さを知っているような誤解を持ってしまっている。確かにもっと当事者のアメリカに、世界に、原爆の悲惨さを発信しなくてはならないだろう。
今年の「平和への誓い」は、森展哉君(12)と山崎菜緒さん(12)の二人によってなされた。子どもさんながらに、切々と平和への願いを訴えてくれていた。
さて、「舎利礼文」についていろいろと調べてみた。先ず、なぜ日本撰述ではないかと、考えたかというと、『大正蔵経』の中には収録されていないし、他の文献の中にも、ちょっと見いだせなかったからである。
「舍利礼文」について書かれた論文を、一つだけ探せた。また『密教大辞典』(法蔵館)にも、この偈文は、中国阿育王山で、不空三蔵が作ったという伝承があるようだ。しかし、あくまでも伝承であり、裏付けとなる資料はないようである。
「舍利礼文」を誦して仏舍利を礼する功徳によって、成仏することを得たという霊験談は、古来よりあるそうである。それを根拠として、亡き人の供養の折などに、「舎利礼文」を誦することは、やはり理に合っているようである。曹洞宗のみならず、日本各宗で、この偈文は唱えられているようだ。
今日はあらためて、広島の原爆で、命を失った人々のために、「舎利礼文」をお唱えしたいと思う。今年で、25万3008人の方が、原爆によって、亡くなられた。心より冥福を祈り、世界の平和を願いたい。
*風月庵だより2006年「ヒロシマ」
今日は広島に原爆がおとされた日である。8時15分一瞬にして、多くの命が失われた。それこそ、お骨さえ残らない人が無数にいらっしゃったことだろう。
山本さんという人は、焼け尽くされた叔父さんの家の跡から、燃えていた小さな炎を、福岡星野村に持ち帰り、竈やら仏壇の灯明として、燃やし続けたという。その火は後の人々に受け継がれ、福岡の山中に建てられた「平和の塔」で、62年間消えることなく燃え続けている。この炎は「恨みの炎」から、「平和を願う炎」に変わり、これからも燃え続けていくだろう。
アメリカには、被爆の悲惨さや、未だその後遺症に苦しんでいる人々がいる現実を、ほとんどの国民は知らないのだという。アメリカ人の平和記念館の理事長さん(役職は違っているかも知れない)の願いは、アメリカにこの実状を講演し、核兵器廃絶を訴えたいと、コメントされていた。日本にいると、世界中のひとが原爆の悲惨さを知っているような誤解を持ってしまっている。確かにもっと当事者のアメリカに、世界に、原爆の悲惨さを発信しなくてはならないだろう。
今年の「平和への誓い」は、森展哉君(12)と山崎菜緒さん(12)の二人によってなされた。子どもさんながらに、切々と平和への願いを訴えてくれていた。
さて、「舎利礼文」についていろいろと調べてみた。先ず、なぜ日本撰述ではないかと、考えたかというと、『大正蔵経』の中には収録されていないし、他の文献の中にも、ちょっと見いだせなかったからである。
「舍利礼文」について書かれた論文を、一つだけ探せた。また『密教大辞典』(法蔵館)にも、この偈文は、中国阿育王山で、不空三蔵が作ったという伝承があるようだ。しかし、あくまでも伝承であり、裏付けとなる資料はないようである。
「舍利礼文」を誦して仏舍利を礼する功徳によって、成仏することを得たという霊験談は、古来よりあるそうである。それを根拠として、亡き人の供養の折などに、「舎利礼文」を誦することは、やはり理に合っているようである。曹洞宗のみならず、日本各宗で、この偈文は唱えられているようだ。
今日はあらためて、広島の原爆で、命を失った人々のために、「舎利礼文」をお唱えしたいと思う。今年で、25万3008人の方が、原爆によって、亡くなられた。心より冥福を祈り、世界の平和を願いたい。
*風月庵だより2006年「ヒロシマ」
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広島の原爆記念館には行きました。原爆の悲惨さを訴えるに十分な立派な記念館でした。
ニューヨークの国連本部にも行きました。そこにも原爆に関する展示物がありました。一応世界的に原爆の悲惨さは認知されているということでしょう。
またワシントンの航空博物館(だったと思いますが)にも行きました。そこには原爆のモデルが展示されていました。広島と長崎に落とされた原爆は形が違います。どっちがどっちだとは覚えていませんが、丸っこいのと、細長いのとあります。これをファットマン、シンマンと呼んでいるようです。
はっきり覚えていませんが、その後ここの博物館が原爆投下は太平洋戦争を終結させ、それ以上の戦争犠牲者を出さないで済んだので、正しい選択であったとの展示をするとか、していたとで問題になりました。数十万人、しかも一般大衆を殺害しておいて、この認識です。
遠いところで起こったことは、やはり現実感はないのでしょう。ビキニ環礁の核実験にしてもしかり。日本人も海も向こうの中国で行われている戦争の悲惨には実感がなかったでしょう。それを国民が理解していれば、国を挙げての最終自滅戦争には踏み込んで行かなかったのではないでしょうか。
風月さんが懸念されるように、アメリカ国民の認識は低いと思います。むしろ国際的な大戦を抑止する核兵器を開発したと言うプライドを持っているのでしょう。その抑止力が第三国が核兵器開発することにより相対的に低下しているのに、あせっているのがアメリカです。これ以上核保有国が出ては困るのです。イラク、イラン、北朝鮮に神経を尖らせるのも、そう言うことでしょう。
今後核を戦争手段として使用する国は出ないと、私希望的に思っています。使ったとたん世界から総すかんを食い、国の存続を危うくするからです。そうであれば、各国がどんどん核兵器を開発して、皆が持てばよいでしょう。アメリカ、ロシアなど先進国の専売特許でなくなれば、抑止力どころではなくなります。そこで行使できない核兵器は意味がないことに気がつき、核非拡散条約により、互いに廃棄する動きになるのではないでしょうか。
ところで原爆のモデルを見て、そしてその後東京の愛宕山のNHK放送博物館(名前は正確でありません)で説明を見てショックでした。原爆には小さなアンテナが付いています。テレビのアンテナを小さくしたものです。これをヤギアンテナといいます。八木さんと言う人が開発した 当時日本が世界にの誇るアンテナ技術だったそうです。何とそれが原爆に取り付けられ、投下した後無線で爆発指令を原爆のアンテナに送ったのです。そのアンテナ技術がなかりせば原爆は爆発しなかも知れません。日本人の技術により、多くの日本人が死にました。大変皮肉なことです。
八木アンテナは辛いですね。日本人の開発した技術が、日本人を苦しめる原爆の役に立ったとは皮肉です。
しかし、これはアメリカ人の嫌みかもしれません。原爆を開発した科学者たちの、残酷さが、さらなる残酷なことを、考えたのかもしれません。日本人の技術を使わなくても、可能だったのではないでしょうか。
将来、核は使用されないか、北朝鮮は信用なりませんね。良識が通用しない国状ですから。
イランも自爆を怖れないので、どうなりますか。指導者 次第の感じがあります。
危うい地球の状態です。宗教には矛盾も大いにありますが、宗教も、人類滅亡を防ぐ抑止力として、地球に必要なのだと思います。イスラム教も、本来は、他を殺すことを勧めた教えではないと思います。
人間は、だんだん良くなるか、というと???
戦争を終結させる切り札として、戦争末期に就航した豪華客船弥勒丸が米国潜水艦により撃沈されたとの設定で書かれた小説、シエラザードがあります。
作者は風月さんから紹介のあった「憑神」の作者、浅田次郎です。
日本の敗戦濃厚により、日本の海外拠点に抑留されている連合国捕虜の食生活は極度に悪化しました。連合国は国際赤十字を通じて、当時中立国ソ連のナホトカに集積した食料等を海外各地の捕虜に届けるよう日本と外交交渉しました。それを受け入れた日本はその船に弥勒丸を当て、この船は連合国から攻撃されることがないので、このことを利用して、シンガポールで集めた金塊を、上海に送り、中国における破綻しかけた占領経済を立て直すことを工作しました。
アメリカは既にこのことを察知していました。一方日本側はこの船にシンガポールからの帰還日本人を2千人乗せることにより盾として、そこまですればまさか、金塊を運んでいても攻撃しないだろうと思いそうしました。
上海に寄航することは連合国と取り決めた航行計画外。盾が乗っていても米国潜水艦は攻撃。弥勒丸は2千人の民間人とともに東シナ海に沈没しました。金塊が上海に届かなければ、汪兆銘に傀儡させていた占領中国経済は破綻して、中国の一般大衆が一斉に日本に反旗を振りかざし、日本は中国での支配権を失い、従って戦争継続の意味がなくなる、よって終戦と言うシナリオです。
もっとも小説なので、事実とは異なるでしょう。しかし原爆投下と同じなのは、米国は戦争終結であれば、民間人大量虐殺はやむなしとすることです。
日本も南京虐殺(事実を巡って議論がありますが)など酷いことをしましたが、一般人の無差別虐殺と言う面では、アメリカは本土の爆撃、原爆投下と酷いことをしています。
正義のためには少々の犠牲が出ても仕方がないと言う考えが根底にあります。それはキリスト教の考えと密接な関係があるでしょう。現在のアメリカの正義とは民主主義、人権擁護、テロ撲滅、核不拡散です。これでアフガニスタン、イラクに侵攻、そして次は北朝鮮、イランです。
アメリカの正義に対して、大きなお世話と思っている国、人民も多くあるようです。特にイスラム圏ではその思いは強いと思います。
風月さんのコメントデ、宗教も抑止力の一つだとありました。宗教の衝突が歴史的に戦争、紛争の原因であったので、宗教が抑止力として如何に機能するのかよく分りません。しかし一つ考えられることは、世界三大宗教の仏教だけが戦争遂行の当事者或いはその黒幕になっていません。即ち仏教こそが今中立的な立場から、世界平和を実現する可能性を持っていると言うことです。
現代は、文明の衝突または宗教の衝突です。これは何も新しいことではなく、結局歴史の繰り返しです。今こそ仏教が世界を救うときではないでしょうか。イスラムもキリスト教も根は一緒です。兄弟喧嘩を仏教になだめてもらいたいものです。
私は「シエラザード」は読んでおりませんが、あらすじを書いて下さったので、わかりました。
〉正義のためには少々の犠牲が出ても仕方がな
〉いと言う考えが根底にあります。
このようなアメリカ(一慨に言ってよいか分かりませんが、ブッシュ政権)が、アフガニスタンにおいて起こってしまった韓国人人質事件に下した結論にも、それを見ることができるようです。
宗教が抑止力になりうる、という点についてですが、仏教の果たす役割は、先ず加担しないということでしょう。
イラク戦争(まだ終結はしていませんよね、本当は)において、日本が加担しているのを、やめさせることが、先ずその一歩でしょう。
イスラム教も一筋縄ではいかないのですから、なにがどうなっているやら、イラク人の方々にはわかっているのでしょうか。
マホメットは「神の力」を説いた、と私は教えられたとき、あの沙漠のような土地で、人々が生きていくには、団結して力を合わせていくのが、確かにベストであろうと、理解したのでした。
しかし、そのような私の単純な理解は、現状を見ますと、粉々になりそうです。しかし、原則として、そうであろうと信じています。
キリスト教も同じです。イエス様は争いを奨励したことは、ないでしょうが、十字軍の遠征など、勝手にしているわけですね、人間は。
今、仏教のできること、特に日本仏教のできることは、私には、加担しないこと、としか言えません。そして、これからの子供たちに、戦争を起こすような愚かなことをしてはならないと、伝えていくこと、が考えられます。
私が、トップであったなら、イラク戦争や、あらゆる戦争をやめようと、世界に呼びかけるでしょう。たとえ効果はなくとも。
実は私は、去年、ノートルダム寺院で、イエス様に、真のイラク戦争の終結を願って、祈ってきました。世界中の人が真に平和を願って祈ることができれば、世界は変わることができるはずなのです。
一人一人がその一人になる。あなたも。
日本にいるイスラム教徒の方々は、どのような祈りを捧げているのでしょうか。ともに平和を願いたい。
また、やがては底をつく石油というエネルギーや、地球温暖化や、やはり、地球人類は滅亡に向かってひた走っているのでしょう。
また、日本が戦争を仕掛けたときも、僧侶も手に武器を持って戦ったという事実を見たとき、仏教にも、無条件で期待はできないでしょう。
やはり、一人一人がこのような世界の中にあって、どのような心で生きていくか、自身を磨いて生きていくしかないのでは、そして、消えていく。
出る幕がないようなったんやけど、黙って閉めるんも、さびしいよってちょっと書かせてもらいます。
前に光泊はんから「知合い呼ばわりされる言われはない」ゆうて、けっちん食らわされて、気分悪うしてましたんやが、ここでは面白いこと言わはったと感心しましたで。
イスラムとキリスト教の仲介を仏教がせえいわはった。こんなこと考えた人が世の中におるんやなと、正直感心したで。結構スケールのでかいこといわはるな。
風月はんによると、残念ながら仏教側はその気ないようやな。出けることは、戦争に係わらないことゆうてはった。それが仏教の性格、性質なんやろか。
せやけど日本の仏教は叡山にせよ、興福寺にせよ結構戦争、政治に絡んだんやけどな。極め付きは加賀門徒衆が百年以上にわたって、国を維持したゆうことでっしゃろ。
仏教もやるときはやるんやないやろか。創価学会も仏教やとすると、未だに政治の舞台にでちょるゆうことでっしゃろ。
仏教の支離滅裂の宗派を統合するような人が出てこんのかな。そしたらごっつう大きな力になるんやろが。世界を動かすような。釈迦没後の根本分裂(言葉間違ごうてたらすんまへん)以来、分裂はあっても統合は聞きまへんな。
話は戻りますが、今の日本がイラクやアフガニスタンの戦争に係わらないゆうんは、難しいんやないやろか。
今の日本は名実(政治、経済、文化)ともに日米同盟にどっぷり漬かっちょる。戦争に係わらないゆうたとたん、日米同盟を清算せなならん。それはアメリカの核の傘下を離れるゆうことでっしゃろ。国民はええかげんやから、核の傘下はいらんゆうやろ。被爆国として核に反対やから。また経済力では世界でまだ屈指やから。アメリカなくしても飯は食える思うとる。
けどこれは幻想、いや無知蒙昧やな。アメリカの傘が外れたとたん、起こることを日本人は考えなあかん。
先ず拉致被害者の問題は世界の政治の舞台から消えるやろ。北方領土、竹島問題もしかり。対馬海峡、北洋での日本漁船の拿捕は今以上にひどうなりまっせ。貿易摩擦では言われ放題、妥協のし放題。
こんなことは日本国民としては堪忍でけまへん。即ちどんな政権が出けても、国民を満足させられへんわけや。国民が政権を支持せんゆうこと、支持される政権が形成されることがないゆうことは、国として存続でけんゆうことでっしゃろ。国民にそこまでの覚悟があるんやったらそれで宜し。そんなもんあるわけないんやな。
参議院で民主党が勝って、そんでも自民党は挙党体制がでけへん。民主党主導で米国への戦争協力をほんまに日本が拒否しよったら、日本は舵を失のうた船や。民主党ごときに、未来ビジョンやかあらへんさかいに。
日本は戦前と同んなじように、結構国際的にしんどい状況にあるんや。平和ボケ、欲ボケの日本国民はそこんとこ分っててへん。そろそろ手痛い試練を受けてもしょがおまへんな。
やがては消える人類、地球・・・日本人がちょっと痛んでもどうちゅことあらへんか。
シエラザードやあらへんけど弥勒菩薩が救世に来はるんが五十数億年後でっか。衰退する太陽が膨張して地球を飲み込むんが、数億年後。ちょっと間に合いまへんな。万事じたばたしてもしょうがありまへん。
確かに、そのようなことがあるから、困ります。どうしたらよいか分からないのが、日本号の行方ですね。自民党が舵をとっても、民主党が舵をとっても、沈没寸前の日本号でしょうか。
なにかこれぞ、という方策はありませんか。
しかし、人類の歴史上、これでよかった、という理想的な時代があったのでしょうか。ないのではありませんか。
どのような中でも、釈尊の法を頼りに、イエス様の愛を頼りに、イスラムの教義はよく分からないのですが、無宗教の人はそれなりに、それぞれ、自分の内を見つめて、生きていく、しか究極的には、道は無いのだろう、と思います。
ネット上で社会の情勢を論じあっていられる余裕がある我々ですが、何時最期の時が来るかは、分かりませんので、先ず、自分の洗浄を常に心掛けつつ、社会の情勢を考えていきましょう。
三人寄れば、文珠の知恵、三人どころでは無いのですから、なにか良い案が浮かぶかもしれませんね。