60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

他人を攻撃せずにはいられない人

2014年07月11日 08時39分29秒 | 読書
 『他人を攻撃せずにはいられない人』、先日本屋で見つけて読んだ本である。子供を虐待する親、学校でのイジメ、職場でのパワハラ、モンスターペアレンツ、クレーマー、・・そんな極端な例ではなくても我々の身の回りには、陰にこもって、居丈高に、他人を攻撃する人は沢山いるように思う。では彼らはなぜ攻撃するのか? 彼らのターゲットにならないようにするにはどうすれば良いのか?、ターゲットにされている場合のかわし方、逃げ方、自分を守る方法はどうするのか?、そんなことが書いてある。著者の片田珠美氏は精神科医で、これらのことを数多く相談されたことから、その事例を元に書いてある。しかし読んでみると、だらだらと同じような言い回しが出てきてまとまりが悪い。端的に言うと100ページで書けることを200ページに延ばしたような内容である。以下何が書いてあったか、要点だけをまとめてみた。
 
 息子の夢を打ち砕こうとする父、妻の自立を阻もうとする夫、有能な部下をのけ者ににする上司、なぜそうなのか? 攻撃欲の強い人達は、あなたより自分の方が優れていることを思い知らせて優越感に浸り、相手をコントロールしようとする。からかいや嘲り(あざけり)、毒を含んだユーモアや皮肉によってターゲットを笑いものにしたり、陰で誹謗中傷したりする。もっと露骨になると、面と向かって軽蔑や侮辱の言葉を吐いたり、何でもけなしたりもする。あるいは、話を聞かないとか、関心のないふうを装うといったやり方で相手の存在を一切無視することによって、存在価値を決して認めようとしない場合もある。自分の知識や教養をひけらかしてそれを身につけるのが当然とい態度で接したりもする。これらは攻撃欲の強い人たちがしばしば用いる手法である。
 
 こういう人は、他人のものの見方など一切考慮せず、「説得のための説得」の印象を与える。目立ちたい、人から注目されたい、そんな彼らの奥深くにあるのは、自己顕示欲と承認欲求、つまり自分が認められたいと言う欲求であり、まさしく自己愛である。自分より価値のある人間や自分以上にちゃんと考えている人間の存在を認めようとしない。それを相手に思い知らせるためには何でもする。攻撃を繰り返し、やる気をなくさせたり、へこませたりして、価値あるのは自分のほうだということを見せつけようとするわけである。そのようにして相手を下位に押しやれば、自分とは異なる考え方や見方を排除することができ、自分のライフスタイルに疑問を感じなくてすむようになる。結局、価値のあるのは自分自身のライフスタイルだけだというふうに思い込み、そこに安住していられるわけである。彼らは自分の能力に不安を抱き、自信がないからこそ、他人を無価値化して自分の価値を保とうとするのである。
 
 こういう人は他人に無力感を味あわせ、沈滞ムードを漂わせれば、自分の力と優越感を誇示できるので、周囲を支配できたような気になるのである。また彼らは、自分の正しさを本気で確信している。当然、自分のやっていることを振り返るような殊勝なことはしない。自分が常に正しく、いつも間違っているのは他人だと思い込んでいる。自分自身の周りに起きている上手くいかないことは、常に他人や周囲の環境のせいにする。それは、「すごい自分」という自己愛的イメージと現実とのギャップを、自分では埋められないために、他人のせいにすることで万能感を維持しようとするからである。そんなかれらの考え方を変えさせるのは至難の業である。彼らを変えようとすることは、骨折り損でただ疲れ果てるだけである。
 
 我々の周りにいる「他人を攻撃しせずにはいられない人」を見分けるのはなかなか難しいが、このような人と接した後は、ぐったりとして衰弱した感じがする。態度や会話なのか、ともかく相手の世界を混乱させて、あなたのエネルギーを空っぽにするようなところがある。ではどういう人がターゲットになりやすいか、彼らは独特の嗅覚でターゲットになりやすい人を見つける。自己主張できない、あるいは自分をうまく守れないような人を選んで操作しようとする。
 彼らは独特の言い回しが得意である。「あなたがもっと気をつけていればこんなことにならなかったのに」、「疑って見るべきだったのに」、「そんなことは、みんな知っているのに」、「私がこのように言うのはあなたのためだと思うから」 「・・・・」と言う風に。そして相手の不注意や無知や気の利かなさをあげつらい、相手を責めて罪悪感を抱かせる。そのことによって、自分自身の過ちが問われることを極力避け、自分の不安や葛藤を感じず、しかも相手を自分のコントロール下におこうとするのである。
 
 自分をどうするのかを決めるのは結局あなた自身であり、他の誰かがその責任をとってくれるわけではない。そう考えれば、他の誰かの要求に条件反射的に従うのは得策ではないことは分かるはずである。もちろん他人に意見や助言をもとめることが必要な場合もあるが、それを取り入れるかどうかを判断するのも、それにもとずいて行動するかを決断するのも、あなた自身である。このことを忘れずに、断ることも選択肢の一つに入れておくべきだろう。ターゲットにされないためには、目と耳を働かせて、人間観察の訓練を積むと同時に、幻想を捨てて現実を受け入れる覚悟が必要である。
 
 重要なのは相手をやり込めることでも、黙らせることでも、自分の方が有能だと誇示することでもない。攻撃欲の強い人に支配されて振り回されている関係から一刻も早く脱出することこそが第一目的なのだと、肝に銘じておくべきである。攻撃欲の強い人が、実は臆病であり他人への恐怖を抱いているのに、それをひた隠しにするのは、自分自身の弱さを周囲に知られていないからである。だからあなたが彼らはしょせん張子の虎に過ぎないことに気づけば、恐怖は向こう側に移るはずである。相手があなたに見抜かれているのではと感じると、今度はあなたを逆上させようと、あの手この手を使ってくるかもしれない。しかしその時は挑発に乗ってはいけない。その挑発を冷ややかなまなざしで見守るべきである。
 
 ある人が攻撃欲の強い人だと気づいたら、最良の解決策は、できるだけ避けることである。その時は『嘘も方便』を使い分け、危険性のある人物から身を守ることが必要である。できるだけ話さない、間違っても、あなたの私生活や心配事など話してはいけない。攻撃欲の強い人は自分の要求をはっきりと言わないことが多い。暴力団が因縁をつけて金銭を要求する際に、「金をくれ」とは言わず「誠意を見せろ」と脅かすのと同じである。こう言う場合は分からないふりをするのが一番である。一度引き受けてしまうと、その後もずっと押し付けられるようになりやすい。それでも迫ってくれば、「どういう理由で・・・・」、「なぜ私がそうしなければ・・・」というふうに物事を明快にする必要がある。
 
 彼らはこちらが抵抗も反撃もしないのは、弱くて恐怖を抱いているというふうに受け止める。だから場合によってはやり返すぞという断固たる姿勢を示すことも必要である。攻撃欲の強い人が傲慢不遜な態度を取るのは、自身の自己愛の傷つきやすさを覆い隠そうとするからである。彼らはターゲットの領域を尊重しないくせに、逆に自分の領域が侵害されるのには耐えられない。彼らは相手を無価値化したり侮辱したりするのが大好きだが、反対に自分が少しでも嘲笑されることには耐えられないという特質を持っている。だからそれを逆手にとって利用し「何でも他人のせいにするのは簡単ですよね」と、ぼそっとつぶやけば、向こうは口をつぐむであろう。
 
 以上、「他人を攻撃しせずにはいられない人」 片田珠美著 PHP新書から
 
 この本を読んで、昔読んだ本に書いてあったことを思い出した。世の中には「被害者」、「加害者」、「傍観者」と言う立場がある。人間関係やその時々の立場によっても変化していくものだが、往々にして「被害者」の立場になりやすい人がいる。しかも一旦なってしまうとなかなか抜け出せない。その脱出策のヒントとしてこんなことが書いてあった。ある女性が店の店員に感情的になってクレームをつけていた。その時そばにいた子供が、「このオバサン、なぜこんなに怒っているの?」と、膨らんだ風船に針を突き立てられたように、その女性の感情は一気に萎み怒ることができなくなった。被害者と加害者の関係から脱出するには、冷静な第三者の目で見た状況を加害者に指摘するのが最善なのであろう。本に書いてあったように、時に「何でも他人のせいにするのは簡単ですよね」、と言うことも必要なことである。しかし攻撃する相手に物申すには大変な勇気がいる。そしてもう一つ別の本に、「勇気は生まれながらに備わっているものではない。勇気は振り絞って出すしかないのである」と書いてあった。







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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2015-11-26 17:37:01
攻撃せずにはいられない人の心理は
実は難しいようで簡単なのです
自身に何らかのコンプレックス(劣等感)が
あるのですよ
弱い犬ほどよく吠えるのです
因みに攻撃する人は攻撃した人よりも
90%以上で劣っています。
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