わたしのサイトを訪れる方の多くがわらべうた「とおりゃんせ」の意味を検索して来られるので
そのページを以下にコピーしておこう。白昼夢の中での弁天様との会話である。
まずイメージの中でこの唄をプレイしながらお読みいただきたい。
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とおりゃんせ とおりゃんせ
ここはどこの細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちょっと通して 下しゃんせ
ご用のないもの通しゃせぬ
この子の七つのお祝いに
お札をおさめにまいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ通りゃんせ
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弁天様がその歌声の裏でゆったりと語り始めた。
「この唄はあなたがたが実在界から現象界(この世)へ降りる際に開かれるセレモニーの唄なのです。
みんな生まれる前にこの唄を聴いているのです。
まず、そのことを頭に置いてください。
そこから出発して考えれば、個々のことばの意味が自ずからほどけてきます」
と、弁天様は前置きした。
ぼくには実在界と現象界ということばの使い方がよくわからなかった。
弁天様の口ぶりでは、弁天様がいるのが実在界で、
ぼくたち人間がいるのが現象界ということになる。
ぼくたちは元々、弁天様と同じ世界に暮らしていてそこからこちらにやってきた、ということらしいのだ。
その時、開かれる儀式の唄が(とおりゃんせ)である、という。
ぼくが一応、理解を示した様子を見届けて弁天様は続けた。
「かごめ唄もそうですがこの唄もほとんどの語が二重三重の意味をもっていて複雑にからみあっています。
(とおりゃんせ)------ 表面上の意味は(お通りなさい)ですが陰意は(十理あんせ)です。
十理とは十の理、十は神を示す印、縦の棒をカと発し、
横棒がミ、カミの理(ことわり)ということです。
かごめ唄の(かごの中の鳥)、鳥(トリ)すなわち、十理も同じことです。
(十理あんせ)とは神の理がありますように、という祈言(のりごと)、
すなわち祈りのことばです。
(十降りやんせ、十居りやんせ)と書けば見えてくる、(神様、降りてください、居てください)、という祈言でもあります。
意味を知らない子どもたちでも「とおりゃんせ」をくりかえして歌えば、
その音霊(おとだま)、言霊 (ことだま)は力を発し、神の理を実現するのです。
神の理とは物理を超える神理 (真理)です。
(ここはどこのほそみちじゃ)----- (ほそみち)には多くの意味が隠されています。
まず、表面的には細い道、すなわち天神様への狭い参道ですが隠された文字は、臍道(ホゾミチ)なのです。
ホゾとはヘソ、ありとあらゆるものの中心、
そこに天神様が座します。ミチは道、未知、霊智の意を含む深いことばです。
天神さまの参道とはだれもが通ってくる、母の産道であることを知れば、
細道が臍道であることが見えます。
現象界は物質界なので現象界で働くには物質としての肉体が必要となり、
魂の一生の乗り物として個々の肉体をいただいてこの世に下ってくるのです。
(ちょっと通して下しゃんせ)-------天界から臍道を通して地上界へ下(くだ)しあんせ、と頼んでいるのです。
(ご用のないもの通しゃせぬ)---------もちろん、だれでも用もないのにこの世に下ろしてもらえるわけ ではなくそれぞれの役目、使命、ご用を授かった人だけが選ばれて生まれてくるのです。
(行きはよいよい)----行きは息、生き、意気、の意を含んで、この世に生まれることの希望、喜びを指しています。
(帰りはこわい) ----- 行きの反対、帰り、
すなわち死への畏れと、現世で犯した罪に対する死後の裁きの恐怖を顕しています。
(こわいながらも通りゃんせ)----死や裁きがこわくとも覚悟を決めてお通りなさい、と念を押しているのです。
すべての方は大切なご用を果たすために決心してこの現象界へ降りてきたのです。
この世にある間にそれぞれのご用を立派に全うしてください。
あなたがたが長い間、忘れてしまっていた、
(とおりゃんせ)の様々な意味を時折、思い出して、
気持ちを新たにしてください。
神理(真理)達成の時代は間近です」
fumio
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