monologue
夜明けに向けて
 



 これまで連載してきた資料の読み込み考察によって夫婦岩の意味は自ずと明らかになった。
夫婦岩は真のアマテラスを世に出さないために天の岩門の役目を果たしていたのである。
そのために注連縄で出口を封じているのだ。真のアマテラスはシャクジという名前で岩屋で待ち谷潜(たにくぐ)というヒキガエルに擬してまだ世の表面から潜りつづけていらっしゃる。
それがわかった今、わたしたちに課せられたことは三重に守られた聖柩の封印を解くことである。
それは地と血とチによって解かれるというのだからまず「地」について検討する。
二見浦の所在地は三重県伊勢志摩である。三重は三が重なっているので日向族に関わりがある名前。
伊勢は、瀬が多いので『五十瀬』の意で、五十、磯、石などから転じた。
志摩は風の神、級長津彦(しなつひこ)あるいは志那都彦神のシナからきているという説があるが島が多いからでもある。これらを合わせると日向族がシナから「志摩」と転訛する風の神、あるいは五十(磯、石)の神すなわちニギハヤヒが入っておられる聖柩の封印を解かせないように守っている。
血によって解かれるということはその神の血を継ぐものたちの血であろう。
カタカナの「チ」によって解かれるのが一番の鍵になる。ひらがなの「ち」では残念ながら鍵の目が合わないのだ。なぜなら平仮名の「ち」は「知」の草体で、片仮名の「チ」は「千」の全画の転形であるから。
平仮名の「ち」を鍵穴に差し込んで回しても岩戸は開かない。
次回は「千」を鍵穴に入れて回してみよう。果たして岩戸は開くのだろうか。
fumio



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