monologue
夜明けに向けて
 



炎と水、そして風=「水(ミ)」→「火(カ)」→「タタラ・アタタラ」
和銅五年(712年)の古事記成立以来、千数百年つづいた富登(ホト)の封印も解けてみれば「コロンブスの卵」であった。封印はどんなにむづかしくても気づかれればいつかははがされる。見えてはいても気づれなければ永遠にはがされることはない。以下にその封印に使われた「丹塗矢」伝説の原文を掲げておく。漢字ばかりで一見読みにくそうだがわたしたちはその意味をすでに知っているのでそれほどむつかしくはない。

三嶋湟咋之女、名勢夜陀多良比賣。其容姿麗美。故、美和之大物主神見感而、其美人爲大便之時、化丹塗矢、自其爲大便之溝流下、突其美人之富登(此二字以音。下效此)爾其美人驚而、立走伊須須岐伎。(此五字以音)乃將來其矢、置於床邊、忽成麗壯夫、即娶其美人、生子、名謂富登多多良伊須須岐比賣命。亦名謂比賣多多良伊須氣余理比賣。(是者、惡其富登云事後改名也。)故、是以謂神御子也。


三嶋湟咋(みしまのみぞくい)は大阪、摂津三島の族長であった長髄彦(ながすねひこ)のことであるが
2003年、大阪府三島郡(みしまぐん)は人口29,403人、面積16.78 km²となっている。
三嶋湟咋の名を遺していた溝咋村は1889年4月1日成立して1935年2月11日に他の村と合併して玉島村に編入されたので今は溝咋村という地名はみられない。
 それはさておき問題は「富登(此二字以音。)」という封印であった。音で読むにしても辞書には「富」の読みは「 フ、フウ、とむ、とみ」とあるだけである。音で読んでも「フト」なのだ。
「コロンブスの卵」のように簡単にそのまま読めば解ける封印だった。それでもだれもが前後の文脈の関係で「ホト」と読んで「富登多多良伊須須岐比賣」の真の意味を封じられてきた。実にうまい封印だった。
富登が「太」であれば「富登多多良」は太田田良」と書ける。
なんだかこれは見たことがある気がする。そう、あの三輪山の祭主「太田田根子」とあまりにもそっくりの名前ではないか。富登多多良伊須氣余理比賣すなわち「御歳(みとし)」はやはり三輪山のタタラの祭主であり、「太田田根子」は崇神天皇の時代にその名前を継いだタタラの祭主であったのだ。意富多多泥古(オホタタネコ)という文字を見てもそのことが自ずと浮かび上がる。「フトタタラ」が今また甦りの時を迎えた。
その祭主は自立した日本(ひのもと)の民なのである。
fumio


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