monologue
夜明けに向けて
 



 ダウンタウンにあるロサンジェルス・コンヴェンション・センター において「ジャパンフェスティバル」という大規模な日本宣伝の祭りが企画されたことがあった。この間、フランスで行われた「ジャパンエキスポ」のような催しである。企業がブースを借りて各社の最新モデルを展示する。さまざまな日本文化も展示する。その主催者から宮下富実夫に、成功するかどうかわからないのでペイを支払う予算はないけれどフェスティバルを盛り上げるためのバンド演奏の依頼が入った。「宮下のシンセとヴォーカル、中島のギター、島のキーボード、わたしのベース、」といういつもの布陣で臨み宮下の新曲を演奏した。会場は大盛況だった。それは丁度、アルバム「PROCESS」のカセットテープをリリースした頃だったので、妻はブースのひとつでそのカセットテープをそのころ流行のメディティションミュージックとして販売した。

 演奏後、日本のラジオの生放送に合わせてスタジオに急いだ。土曜の午後だったが時差の関係で日本では日曜の朝番組だという。それは作曲家、曽根幸明氏のやっていたラジオ番組で日米の回線をつないでロサンジェルスの生情報を伝えるコーナーだった。「ジャパンフェスティバル」の盛況の様子などをしばらくみんなで喋った。
この日本宣伝祭りの成功はアメリカの日本に対する意識が変化するきっかけのひとつになったように感じる。

 この「ジャパンフェスティバル」での演奏がこのメンバー4人での最後の演奏であった。以来、それぞれの進む道が交わらなくなったのである。
fumio

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