元旦に母の最期のことを書きましたが、その3年後に母の後を追った父のことを書こうと思います。
父は心子が亡くなった年、その前年に手術した肺がんの転移が肝臓に見つかりました。
がんセンターで抗がん剤治療ののち、回復の見込みがなくなってから、ホスピスへ行くことにしました。
僕は以前ホスピスを舞台にした作品を手がけていて、父もホスピスについては理解していました。
僕は上智大学内にあった「生と死を考える会」という所でホスピスなどの勉強していましたが、そこで知り合ったドクターが偶然、実家の隣の駅にあるホスピスの医長でした。
僕は前々から、もしも親ががんで亡くなる場合は、このホスピスで最期を迎えさせてもらいたいと思っていたのです。
最初に1週間の入院で、吐き気などの苦痛を取ってもらい、その後は週一回の通院で、モルヒネを服用しながら自宅で過ごすことができました。
その前から僕は実家に戻って父の食事を作るなどしていましたが、身の回りのことは父は自分でできたのは幸いでした。
そして最後の想い出に箱根旅行を計画し、一泊の旅を実現することができました。
旅行から帰った翌日、父はにわかに容態が悪化,意識も低下してきて、3日目の夕方急遽ホスピスへ入院することに。
それから3日、最期は文字通りすうっと火が消えるように、父は息を引き取っていきました。
ドクターは僕の腕時計で、死亡時刻を確認してくれました。
父は最後の旅行に行くまで、命の灯火を保っていたのでしょう。
人は、自分で自分の最期の時を決める。
それは、本当にあることなのです。
苦痛も少なくて、周りに弱ったところを見せたり面倒をかけることもなく、とても父らしい最期だったと思います。
生前、僕は心子を父に紹介したいと思っていましたが、心子は状態が悪化して数時間先もどうなるか分からない状況で、予定を立てられなかったのが残念でした。
でも今は天国で、心子は父の肩でも揉んでくれていることでしょう。