原作は小川洋子「博士の愛した数式」(新潮社)
交通事故で頭を怪我し、それ以後のことを覚えられなくなってしまった数学の博士。
事故以前のことは全て覚えていますが、新しいでき事に対する記憶は80分間しかもちません。
博士の人生の記憶は事故の時点で止まり、それ以降に体験したことは、80分経つとなかったことになってしまうのです。
自分は記憶ができないということさえも記憶できません。
過去の記憶を失う「記憶喪失」を「後方性健忘」と言うのに対して、「前方性健忘」と言われるものです。
博士の家政婦となった杏子と、その10才の息子√(ルート)の、3人の間に織りなされる優しい時間の物語です。
毎日訪問してくる杏子やルートは、博士にとっては常に初対面。
毎回同じ挨拶や会話が繰り返されますが、杏子はいつも笑顔で受け答えます。
博士が語る不思議な数式の魅力にいざなわれながら、3人はたおやかな時を過ごしていくのです。
子供が好きで、無機的な数字に人間味あふれる価値や解釈を与える博士の心。
新たな体験が積み重ねられることのない博士にとっては、常に「今」が全てでした。
杏子が料理をする姿を眺めたり、野の草をつんだり、野球に興じたり……。
それは杏子とルートにかけがえのない、温かい日々として刻み込まれていきます。
そしてやがて、かたくなだった博士の義姉の心をも開いていきました。
映画ではそれが象徴的な、胸に迫るシーンで描かれます。
普通映画の基本は、ファーストシーンから始まってエピソードを積み上げていき、次第に盛り上がってクライマックスで最高潮に達して、一挙にカタルシスを迎えます。
けれどもこの映画の構成はとてもゆるやかで、穏やかなのです。
映画的に構築されたシナリオではありません。
でも映画を見終わったとき、僕はふと気付いたのでした。
この映画は、そのとき、そのときを、しっとりとつづり上げているのだ。
エピソードの組み立てによってラストを導くのではなく、常に「今」を精一杯味わうことが大事なのだと……。
上映終了後、会場のどこからともなく拍手が沸き起こりました。
日本では珍しいです。
80分しか記憶がもたない博士の映画は、僕の記憶にずっと残りそうです。
(続く)