「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

性犯罪被害者の実名報道(2)

2006年06月28日 11時44分59秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36847183.html からの続き)

 僕は独身だし 子供もいませんが、もし自分の娘が 性犯罪の被害を受けたら、

 それを公にすることができるだろうか と考えました。

 僕は 母親が脳出血で入院の末 肺炎で亡くなったとき、

 それだけでも、「そっとしておいてほしい」という気持ちになり、

 遺族の感情というのは こういうものなのだなと思いました。

 また、心子が亡くなったとき 彼女のお母さんは、

 心子が自殺だったため 近所の人にも葬儀を知らせず、

 心子が精神科に通院していたことを 知られるのも嫌いました。

 でも、僕は精神科や自死に対して 特に先入観はないので、

 それを人に話すことは はばかりませんでした。

 心子もカウンセラーであり、心の病などが理解されることを 望んでいたと思います。

 心子は生前、「あたしのことを書いて」 とも言っていましたし、

 心子のお母さんも 拙著「境界に生きた心子」を読んで、

 心子の内面が 理解されるように書かれてあるのを、とても喜んでくれました。
 

 本村さんは、妻・弥生さんが受けた 強姦という言葉を使うことを躊躇せず、

 弥生さんが強姦されたことによって、妻が辱められたとは思わない、と明言していました。

 一瞬驚きますが、強姦によって 被害者の人格が貶められたわけでもなく、

 何かが汚れたわけでもありませんから、

 僕には 本村さんの言葉がよく理解できます。

 例えば、自分の恋人が大怪我をしても 彼女が穢れたはずはないし、

 誰かに心を傷つけられても、それで彼女が卑しくなったなどとは 思わないのと同じでしょう。

 彼女の傷を回復し 癒してあげようとしこそすれ、

 レイプされた彼女を汚いと思って 別れるような男は最悪だと、僕は思っています。
 

 本村さんも、あいりちゃんの父親・健一さんも、被害者の実態が知られないために

 陰で苦しんでいる人たちがいる、という日本の現状のなかにあって、

 あえて真実を伝えていかなければ、さらに苦しむ人が増えることを防げない

 という使命感に 駆られているのでしょう。

 僕もそういう立場だったら、彼らと同じようにするかも知れませんし、

 僕が亡くなった被害者の場合でも、死を無駄にしてほしくないと 思うかも知れません。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37055938.html
 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする