「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

命の重さ(2)

2006年06月04日 17時53分33秒 | ボーダーに関して
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/35808908.html からの続き)

 一方で、心の障害によって、自らの命にピリオドを打たざるを得ない人も増えてきています。

 幼いときから、愛されること,大切にされることを体験していると、

 愛すること,人や自分を大切にすることなどが、無意識のうちに体得されていくのだと思います。

 翻って心子の場合は、純粋である故に、生へ求めるものが高く、強いエネルギーがありました。

 理想が高い分だけ、それが裏切られたときの絶望は深く、一転して死へ傾倒してしまいます。

 死への衝動は、生への欲求の裏返しです。

(僕もかつて、人生最大の挫折をしたとき、自殺の観念がよぎりました。)

 心子をはじめボーダーの人は、百かゼロか、天国か地獄かのどちらかしかありません。

 それに対し、昨日の記事に書いた、生と死の敷居が低い人は、全てが10くらいで、

 あらゆるもののコントラストが薄いのではないか、という気がします。

 ボーダーの人の百かゼロかの「分裂」は、幼児期の母親からの分離独立過程に支障があったと言われるのに対して、

 生死の差が希薄な人は、幼児期以降の人格形成がしっかりできなかったのではないだろうかと、

 素人考えで推察するのですが、いかがなものでしょうか? 
 
コメント
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