( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/55464694.html からの続き)
一方、拙著 「境界に生きた心子」 の読者から いただく文面や、
ネットで見られる ボーダーの人の書き込みなどは、とても苦しみに満ちて、
どうしていいか分からないと 困惑されたものが非常に多くあります。
それに対して 前記の著作は、人生の重荷を負うといった 悲壮さがなく、
発病は自分自身の 生き方やあり方に 結びついているものであり、
必然的に陥った 人生の苦境として捉えられていると、林氏は述べています。
これは 著者が回復してから 書かれたものであるということも、
大きく関わっているのではないでしょうか。
十二分に自己を省みて、客観的な視点で
過去を見つめることが できるようになっていたのではないかと思います。
「思春期病棟の少女たち」 は 著者の退院後 25年を経ており、
郷愁などを持って 描かれたかもしれないとも推測されます。
なお、僕が 「境界に生きた心子」 を書いた際には、
一般に理解されにくい ボーダーの人の 心の中の苦しみを、
読者に理解してほしいという 大きな目的のために、
それを強調して 描いたところがありました。
心子の苦悩や深刻さは、読んだ人にも 痛いほど伝わっているようです。
もっとも僕自身も、彼女と死別した直後は、まだまだ 生々しい苦節を引きずっており、
人に伝わるものが 書けるようになるまでには、3年ほどかかったのでした。
〔参考文献: 「パーソナリティ障害とむきあう」 林直樹 (日本評論社) 〕