法廷劇の不朽の名作 「十二人の怒れる男」
(1957年.シドニー・ルメット監督)を、
ロシアの名匠 ニキータ・ミハルコフ監督がリメイクしました。
話の骨格は そのまま踏襲しながら、
舞台を 現代のロシアに変え、ロシアが抱える 様々な社会問題も糾弾していきます。
チェチェンの少年が、養父であるロシア人将校を 殺害したという事件で、
明らかに有罪と 思われていますが、少年は否認しています。
評議に入った陪審員たちは、議論の必要もないと 早々に切り上げようとしますが、
一人の陪審員が おずおずと、少年の一生がかかっているのだから
話し合いだけでもしようと 異論を挟むところから、話は展開していきます。
有罪無罪は 全員一致でなければならず、
有罪に対して 少しでも 「合理的な疑い」 があれば、無罪にしなければなりません。
またロシアでは 死刑が廃止され、
最高刑が終身刑であることも、最後のどんでん返しに 繋がっていきます。
オリジナル版は 子供のとき テレビで見た覚えがあります。
評議室だけの密室劇だったと 記憶していますが、
リメイク版は 少年の痛ましい生い立ちや 拘置所の少年の姿などを、
カットバックで挿入します。
評議室は改築中のため、臨時に学校の体育館で 評議が行なわれ、
それも作品に 膨らみを与えています。
各陪審員の体験談が語られ、他の陪審員の 心を動かして、
一人 また一人と、有罪から無罪へと 転じていくのです。
感情論や一般論が 目立って、事件の個別の 検証が少ないのが 歯がゆいのですが、
それでも 画面は緊迫感に満ち、卓抜した演出に 引き込まれました。
有罪に 「合理的な疑い」 があれば、無罪を証明する 必要はありません。
少年は放免されて、捜査がやり直されるのです。
映画は 綿密な真相解明よりも、現代ロシアの諸問題
--チェチェン紛争,人種差別,公共事業の杜撰さ,権力の腐敗など--
を訴えているようです。
俳優でもある ニキータ・ミハルコフ監督が 陪審員の進行役になり、
最後の一番おいしいところを 持っていっちゃってますが、
法の厳粛さを超えた 人間の慈愛を描いています。
日本でも来年 裁判員制度が始まりますが、
人を裁く場に立つことの 参考になるかもしれません。
(関連記事: http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54174871.html )
ところで 「十二人の怒れる男」 の日本版には、
1991年の 「12人の優しい日本人」 (中原俊監督) があります。
日本に陪審員制度があったら という仮定の話ですが、
いかにも 日本人ならこうなるだろうという 傑作でした。
ユーモアたっぷりの映画ですが、脚本は 三谷幸喜が書いていました。
この頃から 才気を発揮していたんですね。