江川紹子ジャーナル「フェアではない」
「きっこの日記」に掲載された藤田社長のメッセージを転載するブログの数が何百にもなるが、そのブログ管理人さんの多くは江川紹子さんの主張に同意すると思う。
「自らは安全な場所に身を置き、水に落ちた(落とされた?)犬を叩く姿は見苦しい。ジャーナリストの端くれとして、私はそんな同業者たちが恥ずかしい」との締めの言葉。
そう、あちこちで「自らは安全な場所に身を置き、水に落ちた(落とされた)犬を叩く」報道が垂れ流しになっていることに、私はうんざりしている。
釈然としない――耐震構造の偽装問題を最初に告発した、民間確認検査機関「イーホームズ」の藤田東吾社長が、架空増資に問われた裁判で執行猶予付きの有罪判決を受けた、との報道に、そんな思いが蘇ってきた。
判決自体は、妥当と言えるだろう。
その罪は、確認検査機関としての指定を受けられるよう、資本金を約2300万円から約5000万円に増資したとする法人登記の変更を申請したが、実際には資金がなかったため、知人の司法書士から一時的に借り入れた資金などで増資を装い、虚偽の登記申請をした、というもの。早く自分の夢を実現しようと、少し焦ったのか、背伸びをしすぎた失敗した、ということなのだろう。
新興企業や中小企業が見せ金で資本金を大きく見せかけることは、実はしばしば行われているらしい。けれど、「みんながやっているから」は言い訳にならない。違法が発覚すれば、それなりの罰を受けるのが、法治国家なのだから。
では、私が何に釈然としないかというと、一つは偽装を告発した後の藤田氏やイーホームズに対するメディアや役所の対応である。
(中略)
逮捕からさらに約半年。今回の判決を受けて、藤田氏は記者会見に応じた。
その席で、彼は裁判所が主張をくみ取ってくれたと感謝の言葉を述べたほか、自らの立場や国に対する批判をかなり強い口調で述べたようだ。これまで明らかにならなかった、安倍首相と近しい関係にある業者にも、偽装の問題があることを暴露した。
ところが、各メディアはこうした藤田氏の態度を、反省の色なし、と受け取ったらしい。
読売新聞と毎日新聞は、藤田氏が「主張をまくしたてた」と悪意のこもった表現で記者会見の様子を伝えた。毎日など、インターネットの記事では見出しにも「まくしたてる」という言葉を使っている。そして、記事を次のような偽装マンション元住民の声で締めくくった。
<「怒りのぶつけようがない。偽装を見逃した検査機関の責任をきちんと裁けなかったのは法の落ち度ではないのか。残念だ」と沈痛な面持ちで話した>
また、判決翌日の産経新聞も、藤田社長の記者会見を「”自己弁護”とも取れるコメントも発表した」と書いた。そして、記事の最後に、やはり藤田発言に「怒り心頭」だという元住民の発言をこんな風に紹介している。
<「偽造を見逃した藤田被告が悪いのは明らか。正義の味方のような発言をしているが、チェックがザルだったんじゃないのか」とやりきれない思いを吐露した>
批判やとがめは、犯した罪に見合う程度のものでなければならない。マスコミの藤田氏への非難は、誰も被害者のいない見せ金増資への批判として、適切なものなのだろうか。もし、裁判所が否定した増資の問題と耐震偽装との関連を、メディアが「ある」と考えるなら、それなりの根拠を示せばよい。それも行わないまま、雰囲気と被害者発言を頼りにバッシングをするのは、あまりにバランスを欠いている。
(中略)
なのに、新たな告発については、ほとんどのメディアが報じなかった。もし、名前の挙がった企業やその経営者、政治家らの「名誉」に気を遣うなら、藤田氏の人権についても少しは配慮が必要ではないのか。被害者の「やりきれない思い」を代弁するつもりなら、今なお、明らかになっていない被害者の救済も急ぐべきではないか。こういうメディアのダブル・スタンダードは、権力を持つ者には遠慮がちに、そうでない者には居丈高な対応をしているように映る。本来の役割からすれば、むしろ逆の態度で臨むべきなのに。
「きっこの日記」に掲載された藤田社長のメッセージを転載するブログの数が何百にもなるが、そのブログ管理人さんの多くは江川紹子さんの主張に同意すると思う。
「自らは安全な場所に身を置き、水に落ちた(落とされた?)犬を叩く姿は見苦しい。ジャーナリストの端くれとして、私はそんな同業者たちが恥ずかしい」との締めの言葉。
そう、あちこちで「自らは安全な場所に身を置き、水に落ちた(落とされた)犬を叩く」報道が垂れ流しになっていることに、私はうんざりしている。