朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

ホテルのクリスマスツリー

2012-12-21 | 京都の文化(冬)
京都のホテルロビーに大きなツリーが飾られていました。


(ウェスティン都ホテル京都)

木の周りには贈り物と鉄道線路があり、模型の汽車が走っています。



その前で、この日結婚するカップルが記念写真を撮影したり、親戚、友人たちとスナップを写していました。



そんな風景を眺めていたら、子供たち4人が背の順に一列になって肩を持って列車ごっこを始めて、ツリーをぐるぐる回りました。

メリークリスマス!

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信楽 たぬき

2012-12-20 | 国内各地の風物

全国的に有名な信楽狸のクリスマス衣装です。


(信楽温泉 多羅尾乃湯にて)

かつて紫香楽宮として、奈良時代に聖武天皇が離宮をおいた滋賀県の山中の町、信楽の名産は焼き物です。

陶器としてやや厚手の滋味あふれる風合いが特徴ですが、とりわけ目立つのが、これら狸の焼き物です。



街中、どこにいってもこんな風に屋外に展示されています。



大きすぎて夜中に持って行く人もいないのでしょう。



この店の三代前の店主がその元祖だそうです。



「たぬきや総本家 狸庵」

”三重から9才の時、京都の伯父のもとに引き取られ、清水で修行、11才頃からロクロをひいていたといわれる初代の銕造さんは、その修行中に音羽川河原で大小の狸たちが跳ねたり、クルクル走りまわる、いわゆる狸の腹鼓を目撃され、「可愛いなぁ」と記憶に留められていたとか。
 銕造さんはその後昭和10年頃に日本一大きな土瓶制作依頼を受け、大物なら清水より信楽でと思い立って移住されますが、夢で「狸をつくりなさい」とのお告げを受け、陶製狸の置物づくりに専念されることになります。
 当初はコツコツと作られていた狸ですが、昭和26年11月に、昭和天皇が信楽を行幸された際、沿道に旗をもった陶製狸を並べてお迎えしたことを、天皇が大変お気に召され、

「をさなどき あつめしからになつかしも 信楽焼の狸をみれば」

と詠われた歌がマスコミ報道されたのをきっかけに、信楽狸が全国的に大流行することになりました。”
(引用:http://www.shigaraki-labo.co.jp/shigaraki/rian.html)

昭和天皇さんはもともと狸が好きであったそうで、その気持ちとこの信楽狸の像がうまくマッチしたのですね。終戦後まもない経済的混乱と全国的に貧困状態のなかで、このユーモラスな「キャラクター」が人々の心を和ませたのでしょう・・なるほど。

コメント (2)
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京都一周トレイル:北山コース(大原~鞍馬)2

2012-12-19 | 京都の文化(冬)
静原の小さな盆地を歩きます。



野菜畑には、白菜、大根などが青々と育っていました。なかでもカブの最盛期のようです。



取り入れて、千枚漬けなど漬物にするのでしょうか。



春になるといろいろな花が咲きフラワーパークとなると案内されています。



集落の家のあいだを通り抜けて、再び山間へ。



遠くに見える山の低いところに「薬王坂の峠」があります。この峠道も古くから使われた街道でした。



熊に注意。



登山道に、突然、巨木が現れその根元に取り込まれている石碑に仏像が彫り込まれています。説明看板によれば南北朝時代の弥陀二尊板碑、もう650年近くここに立っているわけですから、京都の歴史を感じました。



しばらく登ると峠に到達しました。

伝教大師が鞍馬で薬王如来を造り比叡山に帰るためこの坂を越えたとき、薬王が現れたとの伝承がらこの名が付けられました。



坂を降りるとほどなく集落が見えてきます。鞍馬です。



鞍馬寺の門前を通過して、この日は叡山電車で帰宅しました。(歩行時間2時間)

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京都一周トレイル:北山コース(大原~鞍馬)「大原御幸」

2012-12-18 | 京都の文化(冬)
前回コースの続きを歩きました。この京都一周トレルの中でも一番地味な区間だと思います。

平家物語に語られる文治二年(1186年)後白河法皇が出家した建礼門院を寂光院に訪れるため、大原に御幸されたとき、京から静原を通り江文峠を越えたとされる古道です。

その後白河に建礼門院徳子は、自らの人生を振り返り仏教の世界観である六道になぞらえて「六道語り」を話しました。平家物語のハイライトと言えるでしょう。(脚注参照)



バス停「戸寺」下車。ここに地元の野菜や農産物加工品を販売している「志野」があり、草餅と豆餅を昼食のために買いました。



日陰には少しだけまだ雪が残っていました。

「小松均画伯」大原で自給自足生活をなしながら院展に出展を続けた画家の美術館は休館を継続していました。



立派なカラーのハイキング案内板があります。



大原村の鎮守さん「江文神社」。ここからロッククライミングの金比羅山への登山道が延びています。



神社から少しだけ戻って、峠に向かって登りになりました。以前はこの水の流れによってぬかるみ道であったところ、地元の人々の努力で水路と歩道がスッキリ切り分けられて歩きやすくなったそうです。



それほど汗をかくこともなく峠の空の明るさが見えてきました。

野生動物が里の畑に降りてこないように、あるいは植林した杉檜の苗を食べないように、あみで囲っている場所が増えています。



峠では車道と少しの間合流しました。金比羅大権現社、ご神体は後背の山です。



道標が朽ちかけています。



山の中に珍しい歩行者トンネル。これを抜けると静原の集落です。


~~引用(Wikipedia ”大原御幸”抜粋)~~

六道語り

後白河が「天人五衰の悲しみは人間の世界にもあったのですね。ここにはどなたかお見えになりますか」と尋ねると、徳子は「誰も訪ねては来ません。妹の隆房の北の方や信隆の北の方から時々使いが来ることはあります。今は一門と先帝の成仏を祈っています」と答えた。後白河が「人間の世界に転変があるのは今更驚くものではないが、これほど変わり果てた姿を見ると悲しみでやり切れない思いがします」と憐れんだのに対して、徳子は自らの人生を振り返り仏教の世界観である六道になぞらえて語り出した。

天上道
「私は平清盛の娘として生まれ、天皇の母となり全てが思いのままでした。明けても暮れても何の不自由もない贅沢な生活を過ごしていた様子は、天上界もこのようなものかと思うほどでした。ところが寿永2年の秋、木曾義仲に都を追われ、源氏物語で名は聞いても見たことのない須磨や明石の浦を船で辿った時は悲しみに耐えられず、天人五衰の悲しみのようだと思いました」

人間道
「人間界には様々な苦しみがありますが愛別離苦(愛する者と別れる苦しみ)、怨憎会苦(憎い者に会う苦しみ)は特に思い知らされました。筑前国大宰府では緒方惟栄に追い払われ、立ち寄って休むところもなくなりました。10月に清経が入水したのは悲しいことの始まりでした」

餓鬼道
「浪の上で朝から晩まで暮らしていて、食事にも事を欠く有様でした。たまたま食べ物があっても水が無くては調理できず、目の前にたくさん水があっても海水なので飲むことができないことは餓鬼道の苦しみかと思いました」

修羅道
「室山・水島の戦いに勝って人々も少し明るくなりましたが、一ノ谷の戦いで一門が多く滅んだ後は明けても暮れても戦いの鬨の声が絶えることはなく、親は子に先立たれ、妻は夫に別れ、沖の釣り船を見て敵船かと脅え、遠方の松の白鷺を見て源氏の白旗かと心配する日々が続きました」

地獄道
「壇ノ浦の戦いの前に二位尼が『男が生き残ることは、千、万に一つもありえないでしょう。昔から女は殺さない習わしですから何とかして生き永らえて天皇と私の後生を弔いなさい』と申しました。もはやこれまでとなり二位尼が先帝を抱いて船ばたへ出ると、帝は呆然としたご様子で『尼前、私をどこへ連れて行くのか』と仰せられました。二位尼は『君は前世の善行の果報で万乗の主となられましたが、悪縁にひかれてその運も尽きてしまいました。この国はつらいところですから、極楽浄土という素晴らしい世界へお連れします』と泣く泣く申されて海に沈みました。その様子は目もくらみ気を失ってしまいそうなほどで、帝の面影は忘れようとしても忘れられず、悲しみに耐えようとしても耐えられません。後に残った人々のわめき叫ぶ声は、地獄の罪人のようでした」

畜生道
「武士に捕らえられ都に戻る途中の明石浦で、先帝と一門が昔の内裏よりはるかに立派なところに威儀を正して居並んでいる夢を見ました。『ここはどこでしょうか』と尋ねると、二位尼らしい声が『龍宮城』と答えました。『素晴らしいところですね。ここに苦しみはないのでしょうか』と尋ねると、『龍畜経の中に書いてあります。よくよく後世を弔ってください』と言われて目が覚めました」

徳子は「これらは六道に違いないことと思いました」と結び、後白河は「これほどはっきりと六道を見たという体験はたいへん珍しいことです」と涙を流した。夕陽が傾き寂光院の鐘が鳴ると、後白河は名残惜しく思いながら涙を抑えて還御した。一行を見送った後、徳子は「先帝聖霊、一門亡魂、成等正覚、頓証菩提(先帝の御霊や一門の亡魂が正しい悟りを開いて、すみやかに仏果が得られますように)」と祈った。

~~引用終わり~~
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大原の野菜

2012-12-17 | 京都の文化(冬)


大原の里を歩きに行きました。

道路沿いの食品店で、こんな立派な赤カブを売っていました。



大根も立派で、安いですね。



これは、堀川ボゴウ。

こんなに太い牛蒡のことは京都に住むまで知りませんでした。

京都の料理屋で、食べてみてすっかり好きになりました。でも素人には調理するのが難しそうです。
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加藤登紀子ほろ酔いコンサート(京都)

2012-12-16 | 京都の文化(冬)


68歳、加藤登紀子さんが祇園甲部歌舞練場での31回目の京都公演。東京では40回目だとのことです。



「都をどり」を毎年開催する伝統的な建物です。



実家が経営するロシア料理レストラン「キエフ」が花束を飾っていました。



伏見の酒「月桂冠」が、振る舞い酒を。



赤く塗った枡はおみやげにいただけました。



2階席の奥は枡席になっていました。

加藤登紀子さんの歌は元気一杯、客席との掛け合いもあります。

1973年、歌手として再出発を決意した年、クリスマスイブの京都三条キャバレー公演のあと、向かいの居酒屋で夜明けまで飲み、四条の橋の下で藤本氏と寝ていたエピソードなども披露。

その当時、ビラ配りやポスター張りを手伝っだ当時の同志社学生だったファンも客席から応援していて和気あいあい。

新しい歌も多くてとても楽しいコンサートでした。
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ワイン1本の価格 

2012-12-15 | 食べること、レストランなど


新聞の折込広告を見ていたら、こんなワインがありました。

チリ産で赤、白とも、397円(税込)です。

少し前に、FB友人がこんな写真をポストしていたのを思い出しました。



これだと、イタリア産で313円(税込では)。

ワインには加えて「酒税」がかかっていますから、一体、工場出荷の価格はいくらなんでしょうか?

輸入ワインの酒税を調べてみると、

”3.海外から取り寄せ(営業用)
 基本156.8円/ℓ又は、ワイナリー出荷価格+保険料+運賃の合計額(CIFですが、ワイナリー出荷価格の分が個人用と異なる)に対し21.3%/ℓのどちらか安い方。但し、最低税額93円/ℓです。”
(出典:http://ameblo.jp/rokudenashichan/entry-10713518883.html)

0.75リットルの瓶だと、69円(安いワインの場合)。さらに、輸入関税が37.5円かかるようです(チリの場合)。

最初のワインの販売価格397円を1.05で割ると、378円(消費税抜き価格)。更に酒税と関税を引くと、正味の商品価格は271.5円になります。

大きな紙パック入りのワインならばこの価格も利章できます。

地球の裏側の南米チリから運んでくる費用、瓶代、箱、港から卸売、小売店への輸送、販売店の経費、利益?、などを加えると、出荷価格はいくらでしょうか?

不思議です。

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チョコレート展

2012-12-14 | もろもろの事


国立科学博物館でこんな展示を見学しました。仕事の一環です・・



手前に写っているのは、チョコレートの原料、カカオの木の実物大模型です。



南米マヤ文明では象形文字が使われていました。

カカオは、ヨーロッパの征服者に「発見」されるまでは南米にて栽培され、儀式の中での飲み物として使われていました。



そこに侵略してきたのはスペインの軍隊。武器技術と性能には格段の違いがあったので、あっという間にこの地に住んでいたマヤ王国は征服されて絶滅してしまいました。・・現代とは、政治倫理、人権原理、人々の意識は大いに異なっています。

カカオを持ち帰った欧州の国では、そのエキゾチックな味と香りが上流階級で流行になり、ポットやカップにおしゃれなデサインが生まれました。



ホットで飲むため、保温のデザインを工夫したカップのいろいろ。



飲み物から、持ち歩けるチョコレートが発明されるとその利便性から欧州では一挙に普及しました。イノベーション。

ココア、簡便なホット飲料の粉を発明。

スイスの発明家が固形のチョコレートを発明しました。その後、温度の安定性や味をまろやかにするなど幾つかのイノベーションが起こり、その結果、世界にチョコレートというお菓子が広まりました。

米国では「ハーシー」ブランドが有名で売上も一番だと思います。

ペンシルバニア州に、この会社が運営する「チョコレートタウン」があって、乗り物に乗って工場見学をするとても楽しいテーマパークがありました。(今でもあるのかしらん)



Yahoo!では、ありません。クラシックなホットチョコレートのブランドです。

相当に昔でしょうな。

展示場最後の少し前にこんなコーナーがありました。

壁にカメラが仕込んであって、その前に立った人物の顔をチョコレートの包装紙の「窓」にはめ込むという意匠です。



この賞品は、出口のところにある売店エリアにて販売していました。
ま、勉強だけない「博物館」も必要だと納得しました。
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国立科学博物館

2012-12-13 | 国内各地の風物
上野公園の中に国立科学博物館があります。



レンガ作りのクラシックな堂々とした建物です。



正面脇に、大きなブロンズのモニュメントがありました。

地球上で最大の動物「シロナガスクジラ」です。近くの人のサイズと比べてみてください。海にいるので重力浮力のバランスで、餌になるプランクトンが豊かな海でこんなに大きく進化したのでしょう。
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スーパーの折込広告

2012-12-12 | もろもろの事
最近、近所に大きなスーパーマケットが開店しました。

元々はバッティングセンター、ゲームアーケード、カラオケなどの娯楽施設があった建物をすべて壊して更地にして、相当に大きな全国チェーンのスーパーができました。



もともと、その周辺には1~200メートル間隔で3つくらいの中堅スーパーがあり、1キロメートルくらい離れた場所には大きなスーパーとショッピングモール(その中にも食品スーパーあり)が存在します。

お陰で新聞にはチラシの折込合戦です。

さらに、ネットや電話で注文すると、自宅まで配達してくれる「ネットスーパー」も始まり、その注文エリアも拡大しています。重い物を買うときはとても便利だと思います。

そういえば、コンビニチェーンも宅配始めるようです。

狙い目は、高齢化する団塊の世代の人々でしょう。

少子高齢化で付近の人口は増えているとは思えないし、同志社の学生さんが増えるのは来年4月だし・・過当競争ですね、食品小売業界。
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