昨日ジムでバイクをこぎながらTVモニターを見ていたら、NHKで手塚治虫氏の昔のインタビューをやってました(こういうモニターの受信料も台数分払っているのかな、という話は今回は触れませんw)。
手塚氏も熱く語っていて、面白いインタビューでした。
うろ覚えながらいくつか興味を引いたフレーズ
「批評や読者に訴えたいことのない漫画はただの絵だ」
「僕は負けん気が強くて、劇画ブームで手塚の絵は古い、と言われればこのやろう、と劇画調のものを書いたり、手塚は子供向けの漫画しか書けない、といわれると、大人向けのものを書いたりしてきた」
「昔は漫画、というだけで批判の対象になっていた。しかし今は漫画で育った世代が親になったせいで、皆漫画を擁護している。漫画家もちょっと売れたら似たようなスタイルの漫画を書いていれば生活できる、といういい時代になった」
「でも批評のないところに進歩はない。なので皆さんもどしどし漫画を批判して欲しい。漫画家が思わず「グッ」とつまって真剣に受け止めるような批判をね。」
言われて見れば、僕の子どもの頃は漫画や劇画はまだ正面から認知されていませんでした。
サラリーマンが電車の中で漫画をおおっぴらに読む、というのもなかったような。
そのかわり、本屋では今のようにいちいち本にシュリンク(ビニールのカバー)がついていなくて、立ち読みは(店員の裁量の範囲内で)自由にできました。
僕が幸運だったのは、小学校3年のときに商店街にできた書店が立ち読みに鷹揚だったことです。
開店直後に2時間くらいいろんな本を読んでいたら、店長(ヒッピー風の長髪・ヒゲのお兄さんでした)が「椅子、貸してやろうか?」と言ってくれたくらいです(さすがに辞退しましたが)。
それからも立ち読みは黙認だったのであれは嫌味ではなかったと今でも信じてますが・・・
おかげで、その書店の漫画本はほとんど読破してしまいました。
(一応文庫本とかは罪滅ぼしにそこで買ってたんですけどね)
漫画と言っても子供向けの物は週刊誌の連載でカバーできるので、自然劇画など青年向けに興味が向かうことになります。(半分(以上)は「エロ」の世界への興味なんですけどね。)
そして、当時の青年向け漫画は、よからぬ事を描いた作品と(あとは「ガロ」のように)妙に難解な作品が溢れていました。
僕の少年時代はすでに実際には存在しなくなった「悪所」(江戸時代の遊郭とか芝居小屋などの「子ども立ち入り禁止」の場所)が漫画の中にはあったわけです。
「悪所」にコッソリ出入りするかわりに漫画をのぞき見ることで、少年はいろいろ大人の世界も勉強することになるわけです。
そのなかで、記憶に鮮明に残っていたのが上村一夫の『関東平野』でした。
「昭和の絵師」とも異名をとりながら20年前に45歳で早世した上村一夫氏(映画にもなった『同棲時代』の作者としてがいちばん有名でしょうか)の自伝的作品です。
戦後の疎開先である千葉の田舎での少年時代。そして男でありながら女の子として通している「銀子」との友情。緊縛画家の叔父に引き取られた思春期と上京して広告会社に勤めながら絵の道を模索していた青春時代(このときの同僚に作詞家の阿久悠がいます。)。それらのすべての背景に、人間の色と欲(これが妖艶な画風で描かれてます)と関東平野の景色(まっ平らな田んぼになびく稲穂のような風景をすっと抜けるように素直に描いてます)が綾をなして、人間のバイタリティと業の深さを浮き彫りにしています。
先日復刻版が出たと言うことで早速購入しました。
冒頭の手塚先生の指摘も、漫画が単なる大量消費財になってしまうことへの懸念があったのだと思います。
漫画はどこまでも「悪い」という負い目を持っていなければいけない、特に現在のように無菌化された社会では「悪所」の役割を担う必要がある、という問いかけは、重い意味があると思います。
PS 多分鳥山彰の『ドラゴンボール』あたりから集英社の読者アンケート(=マーケティング)至上主義が幅をきかせてきて、その後ゲームとのコラボや最近はTVドラマのコンテンツの供給元として、ますます金になる作品が幅を利かせている感じがします(象徴的に言えば漫画は島耕作の出世とともに毒気を抜かれてきたように思います)が、その辺の話は後日。