ウシジマくんに触れたところで先日決まった貸金業法の改正案の概要をメモ代わりに。
特例金利25.5%で決着 期間2年に短縮 自民
(2006年 9月15日 (金) 22:56 朝日新聞)
改正法は公布から1年以内に施行し、施行から3年以内に出資法の上限金利を年29.2%から20%に引き下げる。公布から引き下げまでの通算期間は「おおむね3年」とし、金融庁案の4年から短縮する。貸金業の上限金利は利息制限法の上限(年15~20%)と一本化され、利息制限法の上限を超える灰色(グレーゾーン)金利は原則なくなる。
上限引き下げ後の特例金利を認める期間も短縮し、利息制限法を超える高金利が残る経過期間は当初の9年から「おおむね5年」に圧縮した。
特例融資は、個人向けが元本30万円・期間1年、法人向けが500万円・3カ月を上限とした。個人向けは、金融庁案の50万円・1年から減額した。特例はリボルビング取引には適用できないが、金融庁の有識者懇談会で「手軽に借金しすぎる」と批判があった現金自動出入機(ATM)での利用は認める。
特例融資には「見直し規定」を盛り込む。金利引き下げ前に必要性を検討し、場合によっては特例をやめることもある。
また、過剰貸し付けを防ぐため、1社あたりの借入額が50万円以上、借入総額100万円以上の場合は所得証明書などでの審査が必要となり、借入総額の上限も年収の3分の1に制限する。
このほか、業者の信用情報機関への加入と残高情報の交換を義務づけ▽高金利・ヤミ金融に対する罰則強化▽業務改善命令の導入▽保証料の金利への算入――などは、ほぼ金融庁の原案通りまとまった。内閣官房に多重債務問題に取り組む対策本部を設けることも、新たに盛り込んだ。
金融庁の原案を自民党が修正した、という報道ですが、聞くところによると、そもそも貸金業者がアメリカで社債(だかABS(資産担保証券)だか)を発行していて(そういえばレイGEキャピタルがレイクを買収したりしてましたね)、それがデフォルトになったり格付けが急落すると困るというアメリカからの圧力が自民党にあって、それを反映して当初の金融庁案ができたようです。
そこで更に修正する、というのは大人の事情なのでしょう。
実際どれくらいの量の社債が発行されていたのかはわかりませんが、単にアメリカの圧力だけではなく社債マーケットの混乱回避を優先しようという考えがあったのかもしれません。
3年の経過措置があれば、既発の社債は償還されるでしょうし、マーケット的には混乱はないでしょう。
アメリカの圧力で気の毒な個人の債務者を犠牲にする、という議論も出るかもしれませんが、たとえば社債が年金などの日本の庶民の老後の資金の運用先になっていたらどうでしょうか。
これも一つの価値判断ではあると思います。
こう考えてみると、お金同士の取引の世界と、物を売ったり貸したりサービスを提供してお金を得る世界ではちょっとロジックが違うのではないか、ということに気がつきます。
以下前者を「金融」後者を「商売」と大雑把にまとめて話を進めます。
金融の世界、株式や債券や為替や金利などの取引は市場原理で決まり、市場に歪みがあればしばらくはそれを利用して儲けることもできますが、いずれは平準化されてしまいます。
つまり金融の世界は「命がけの跳躍」をしてしまった同士の色のないお金とお金の交換なので、取引の安定性と合理性が第一に求められるわけです。
(誤発注問題も、証券取引所への損害賠償請求はするものの、発注自体を無効にしろとは言いませんよね)
これに対して商売の世界は、金融の世界ほど合理的ではありません。
物を売るということは、貨幣という流動性の高いものを手放して商品と言う流動性の低いものと交換させなければならないわけですし、サービスの提供に至っては、それ自体が再度換金するのは不可能になってしまうわけです。
そこには、価格であったり品質であったりブランド力であったり取引の手軽さであったり流行であったりと何らかの「その気にさせる」仕掛けが必要です。
たとえばA社の現在の株価が1000円だとしたら誰でも1000円近辺でA社の株を買うことはできるわけですが、A社がある商品を1000円で売っているからといって、たとえその商品が問屋で仕入れられる商品だとしても、誰もが1000円で売ることができるわけではありません。現実には商店として認知される必要があるし、自分から押し売りに行くのでは怪しまれたり、友人に売るのでは値切られたり、場合によっては販売に免許が必要かもしれません。
そこで思ったのが、この2つの世界における行動様式やルールもかなり違うのではないか、「消費者金融業」というと金融の世界のことのように思い、銀行やノンバンクなどとの類推で考えてしまいがちだけど、実は分けて考えた方がいいのではないか、ということです。
つまり、
消費者への融資であれば
都市銀行・地銀→信用金庫・信用組合
→消費者金融→闇金融(ウシジマ君)
事業融資であれば
都市銀行・地銀→信用金庫・信用組合→ノンバンク
→商工ローン(ナニワ金融道)→闇金融(萬田銀次郎)
という貸し出し金利の低い方から高い方への序列を連続的にイメージして同じロジックでかたるのは間違っているのではないか、1行目と2行目の間には「金融」と「商売」の間のような断絶があるのではないかということです。
ではここでいう「金融」と「商売」の違い、商売としての消費者金融を議論するためにどういう論点が必要なのかについては長くなってしまいましたので次回以降に。