一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

朝からこれかよ・・・

2007-06-29 | よしなしごと
緒方・元公安調査庁長官ら3人逮捕、詐欺容疑で
(2007年6月28日(木)16:52 読売新聞)

今朝のNHKニュースに朝堂院大覚氏のインタビューが出ていたので、この手の人(たとえばこちら参照)までテレビに出すのか、と驚きました。
特に朝の食卓と対極にある雰囲気の方ですので。


朝堂院氏の主張はESPIOをご参照。


競売逃れや詐欺にしては仕掛けがずさんなので、検察がOBを使った罠を仕掛けたのかとも思っていたのですが、これがホントだとすると、一弁護士になった時点で悪い友達と付きうようになってしまった、という単にそれだけの話になってしまいます。

でも、総連側も簡単に騙されたもので。

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宮沢喜一氏逝去

2007-06-29 | まつりごと
宮沢喜一元首相が死去
(2007年6月28日(木)19:31 朝日新聞)

ニュースを見ていたら、首相経験者がその後大蔵大臣に就任したのは高橋是清以来ということで「戦後の高橋是清」とも言われた、と言っていました。

ちょうど今高橋是清の自伝を読みかけなのですが、元祖の波乱万丈の人生に比べると、最後まで「エリート」でいられた最後の人、という印象を持ってます。

大正8年生まれなので、池田勇人(明治33年生まれ)の世代のような戦争によるキャリアの挫折もなく(参照)、政治家になってからもいわゆる「55年体制」の恩恵でそのまま偉くなってきた人、という感じです。

「あの人はエリートだから」と周りからも持ち上げやすいし持ち上げられやすく、さらに国民に対しても「害をなす」というイメージがなかった(その点中曽根康弘氏とは性格が違いますね)ので、自民党が困ったときにひょいと担ぎ出される、という役割だったように思います。
なので、結局「55年体制」の幕引きとか、小渕内閣での金融危機対策の切り札(でも、結局は「お札」程度の役割だったような・・・)などをやることになったのでしょう。

経歴を改めてみても、70年代80年代が政治家としてはピークで、91年(結局バブルとその後遺症の遠因が発生したときですね)に首相になったというのがちょっと遅すぎたような感もあります。


合掌
コメント (2)
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