残念ながら日本は敗退してしまいましたが、4年後につながるきっかけは、反省材料も含めて得られたのではないかと思います。
南アフリカ、ワールドカップつながりで、先般公開された映画を見そこねたので原作を読みました。
1994年に南アフリカの大統領に就任したネルソン・マンデラが、1995年に南アフリカで開催されたラグビーのワールドカップによって国民の心を一つにする過程を描いています。
とはいうものの、「スポーツは人々の心をつなぐ」とか、今回の日本代表のような予想外の活躍で日本中が盛り上がったというようなレベルではなく、元々は南アフリカにおけるラグビーは人種対立の象徴で、それを南アフリカ国民がはじめて一体感を得られたイベントにまで結び付けたネルソン・マンデラの政治家・人間としての能力と運を描いています。
本書は前半部を南アフリカの民族対立の歴史、政治的時代背景、そして収監中からのマンデラの敵を味方に取り込む能力について語ることに費やします。
ここの部分は僕のような知識のない人間にとって勉強になるのはもちろんですが、そこで、人種対立がもたらした政治的複雑さ、対立の根深さが語られます。
南アフリカでのラグビーは、白人の中でもオランダ系のアフリカーンス語を話すアフリカーナーのスポーツでした。アフリカーナーは白人の多数派であるものの、経済(金鉱山やダイヤモンド鉱山)を握っているのはイギリス系企業であり、「英語を話す白人」に対しても屈折した思いがあります。
一方で、内陸部への植民の過程(これも元はと言えばイギリスがケープを植民地にしたからですが)で黒人の原住民を駆逐していったのはオランダ系住民であり、また当時も警察官や軍人など黒人差別の前面に立っているのはアフリカーンスということもあり、黒人にとってもラグビーは差別する側の象徴でした。そのため南アフリカ大会の前までは黒人は常に相手チームを応援していたほどだそうです。
後半では、それらのもつれた糸が、マンデラの大統領就任、そして1年後のラグビー・ワールドカップ南アフリカ大会、そして南アフリカチームの優勝まで、きれいな一本の糸になっていくところは、あらかじめシナリオを書いてもここまではうまく行かないだろうというほど感動的です。
ネルソン・マンデラという人物は、南アフリカにとってまさに"right person in the right place"な存在だったというのが読後感。このときを待つために27年間の獄中生活があったのではないか、という印象をもったくらいです。
南アフリカ、ワールドカップつながりで、先般公開された映画を見そこねたので原作を読みました。
1994年に南アフリカの大統領に就任したネルソン・マンデラが、1995年に南アフリカで開催されたラグビーのワールドカップによって国民の心を一つにする過程を描いています。
とはいうものの、「スポーツは人々の心をつなぐ」とか、今回の日本代表のような予想外の活躍で日本中が盛り上がったというようなレベルではなく、元々は南アフリカにおけるラグビーは人種対立の象徴で、それを南アフリカ国民がはじめて一体感を得られたイベントにまで結び付けたネルソン・マンデラの政治家・人間としての能力と運を描いています。
本書は前半部を南アフリカの民族対立の歴史、政治的時代背景、そして収監中からのマンデラの敵を味方に取り込む能力について語ることに費やします。
ここの部分は僕のような知識のない人間にとって勉強になるのはもちろんですが、そこで、人種対立がもたらした政治的複雑さ、対立の根深さが語られます。
南アフリカでのラグビーは、白人の中でもオランダ系のアフリカーンス語を話すアフリカーナーのスポーツでした。アフリカーナーは白人の多数派であるものの、経済(金鉱山やダイヤモンド鉱山)を握っているのはイギリス系企業であり、「英語を話す白人」に対しても屈折した思いがあります。
一方で、内陸部への植民の過程(これも元はと言えばイギリスがケープを植民地にしたからですが)で黒人の原住民を駆逐していったのはオランダ系住民であり、また当時も警察官や軍人など黒人差別の前面に立っているのはアフリカーンスということもあり、黒人にとってもラグビーは差別する側の象徴でした。そのため南アフリカ大会の前までは黒人は常に相手チームを応援していたほどだそうです。
後半では、それらのもつれた糸が、マンデラの大統領就任、そして1年後のラグビー・ワールドカップ南アフリカ大会、そして南アフリカチームの優勝まで、きれいな一本の糸になっていくところは、あらかじめシナリオを書いてもここまではうまく行かないだろうというほど感動的です。
ネルソン・マンデラという人物は、南アフリカにとってまさに"right person in the right place"な存在だったというのが読後感。このときを待つために27年間の獄中生活があったのではないか、という印象をもったくらいです。