一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『魔女の1ダース』

2010-07-23 | 乱読日記

これも旅のお供。
副題は「正義と常識に冷や水を浴びせる13章」というあるけど、米原万理さんも軸というか視点がぶれない人なので、読んでいて安心感+新しい気づきがあって最適。
早世されたのは誠に残念です。

対象に影響されず客観的にみながら、しかも他者として冷たく切って捨てるわけでもないという距離のとり方の上手さは塩野七生さんと共通しています。  


どこをとっても面白いのですが、なるほどと思ったのが料理の話。

調理方法についても、一応専門家の愚妹によると、
「日本料理などは、ほとんど日本の食材を用いないと作れない、いわゆる調理法が素材依存型であるのに対して、中華料理は大変抽象度が高い」 
というのである。つまり、世界中どこの国へ行っても、そこの食材に適応できる普遍性を持つものが多いそうだ。
もっとも、中国料理の極意は何でも食の対象にしてしまうことだから、調理法の普遍性と抽象度が高まるのは当然の成り行きではある。  

これ、料理を「企業」中国を「米国」に言い換えても通じますね。 

日本は「職人芸」とか「暗黙知」が持ち味なのに対して、米国企業は極端に言えばビジネスをエクセルシートに還元してしまうようなところがあって、そのおかげで同じ経営者がたとえばポーランドの縫製工場の次にナミビアのウラン鉱山を平気な顔をして経営したりするわけです。  

さらにexcel=中華鍋と考えるといろんなことに合点がいきます。 

とりあえずいろんなデータや変数(具材)をスプレッドシート(鍋)にぶち込んでキャッシュフロー(炒め物)とか企業価値(揚げ物)とかの形に盛り付ければビジネスプラン(中華料理)風なものはできるわけです。 
さらにビジネススクールなどで流行のキーワード(調味料)などをまぶせば、よりそれらしくなります。  

そして、実際に食べてみないと良し悪しがわからない、というところまで同じw



同じ章の「キルギスタン共和国のチャーハン」というのもいろんな隠喩になりそうですが、それは読んでお楽しみください。

コメント
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