戦場カメラマンの沢田教一氏が カンボジアで銃撃され 1970年に
34歳で亡くなってから 今年は50年目になります。
爆撃から逃げる2組の母子を撮った『安全への逃避』は ベトナム戦争の悲惨さを
世界に伝え 戦争終結への大きな力となり 1966年ピュリツァー賞を受賞しました。
受賞後 教一氏はこの母子をさがして 賞金の一部を贈っています。
教一氏の妻サタさんは現在95歳。ライカで撮った夫の写真と 自分の作品を
展示した『二人展』が先月 二人のふるさと弘前市で開催されました。
1989年 当時60代のサタさんがベトナムを訪れ『安全への逃避』に写った
子どもに会うというドキュメンタリー番組が作られ 再放送が3-4年まえに
ありました。
母親に抱かれた当時2歳の女児が大人になり サタさんに会って 写真の母親の
2人ともが 若くして亡くなったと伝えた と確かそんな内容だったと思います。
以前から行きたかったベトナムを2013年に旅し 国営の刺繍工場へ寄りました。
そこでは枯葉剤で犠牲になった肢体不自由児が 懸命に糸を刺していました。
彼女たちは症状が軽いですが ベト・ドクちゃんらは 重い患者になります。
刺繍工場の少女たちを見た時 沢田教一氏の『安全への逃避』が脳裏に浮かび
きゃーきゃー浮わついた気持ちがしゃんとして しんみり黙った7年前でした。
今回『二人展』の開催中 教一氏の命日である10月28日に サタさんの講演が
あったそうで 聞きたかったです。
沢田サタさん95歳。11歳年下の教一氏が生きておれば現在84歳で まだ現役で
活躍している年齢です。
キャパ・長井健司氏・山本美香さんら多くのカメラマンが 海外での取材中に
戦争に巻き込まれ命を落とし 昨年はアフガンで 中村哲医師が死亡しました。
平和を願った夫・教一氏の想いを サタさんに一年でも長く伝えてほしいです。