1月に13年間おせわになったグループホームを出て 特養へと移った母が
新天地で3ヵ月も経たぬのに ずっと体調がわるく38度台の熱がつづいて
酸素吸入や点滴をうけている と聞いていました。
面会は届けを出し 許可が下りたら 看護師立ち合いの下に 30分会える
システムで ICUへ入るような衣装をまとって 先月初めに会えました。
このときは 酸素と点滴をうけつつ横になる母の手をにぎり 家族の名前
を聞くと 娘二人の名前は出たものの父の名が出ず 父の名前を言ったら
それは戦死した兄とのこと。入れ歯を外しているので 言語は不明瞭です。
病院が母体の特養には担当医がおり 4月から医師が交代になりましたので
一度会いたいと 新担当医から連絡がありました。
美人の女医さんから 現在の母の状況を説明され つづく微熱は 変化した
環境もあるでしょうし 年齢からもきているでしょう とのことです。
今までどんなときでも 食には意欲を見せた母が 口に運んでもらう食事も
半分ほど食べ あとは拒否するらしく 点滴が命をつないでいるようです。
2月から母の体調が悪いことは聞いていましたが そのころは老ネコの病状が
急に悪化し 獣医通いした時期でもあり 行っても母には会えませんし情報は
ケアマネさんからの連絡だけが 母の便りとなっていました。
新担当医が私に聞きたかったことは 今後の医療の方針として 胃瘻をふくむ
一日でも長く生きるための手術らを 希望しますか? の確認でした。
ここに入れてもらった日にも 延命のための手術らを聞かれて そのたぐいは
一切しない旨を伝えていましたが それら再確認のための面接となりました。
今回も以前と同じく私たち姉妹は 母の延命治療はしない考えであり 認知が
入る前から 母本人も 延命を望んでいなかったことを伝えました。
ただ心配がひとつあり それら延命を拒否した場合も 最期までここに置いて
もらえますか? の質問には 責任をもって看取りします と言ってくれました。
そして私のもうひとつの質問は 母はあと どれくらい生きられますか?との
質問に先生は 肺炎になれば 1-2週間のときもあるし それらをまぬがれても
今現在できている会話は やがてできなくなるでしょう とのことでした。
先生との面接の最後に 希望することがあればお聞きしますと言われて 残りの
日々を母が 痛がらず 苦しまず送れるようお願いします と頼みました。
命の灯が消えかかった母の いつなんどき招集がかかるかもしれず いつでも
駆けつけますと約束し 特養を出ました。いつでも運転できるようにと この日
から夕食時のビールはやめました。
相手が分かって会話ができる という母の時間が少なくなった今 妹にも母との
会話をさせねばならず 行ける日時を3つほど 特養へ知らせるように伝えました。
3つのなかから特養が選び 面会させてくれると思います。
2014年の母
最近16歳の老ネコを見送り 近い将来またも 母を見送ることになるとは寂しい
ものですが これが番狂わせでなく 順番の家族を見送れるということは 幸せと
思わねばなりません。 6月の 94歳の誕生日はムリかもしれません。
橋田壽賀子さんが95歳の大往生を遂げました。再放送の「おしん」は翌朝がまち
遠しく観ておりました ご冥福をお祈りします。