成田を発ったスリランカ機UL455便は 予定どうり10時間後 外気温30℃の
コロンボ空港に着きました。 日本との時差は3.5時間です。
その昔 セイロン島と習ったインド洋の真珠スリランカを 前泊を含め8日間
娘と旅してきました。 各地から集まったツアー客は20名 添乗員1名です。
首都コロンボから世界遺産 アヌラーダプラへは バスで5時間かかりました。
お釈迦様の聖なる地アヌラーダプラは 紀元前4世紀~1400年間も都が置かれ
スリランカ古代仏教の聖地として栄えました。広い遺跡は 今なお発掘中です。
お寺の敷地へ入ると「ここからは 靴と帽子を脱いでください」とガイド氏が
言います。気温30℃の中 焼けた砂をはだしで歩くは割と慣れますが 帽子を
かぶってはいかん には参りました。
仏塔のまわりで坊さんがお祈りをしていました。タイやカンボジアで見た僧も
この色の袈裟でした。
どのお寺も敷地が広く 大きな木が茂っており サルやリスもいました。
屋外で1000年以上の時を刻んできた遺跡の数々。 ベトナムのミーソン遺跡や
カンボジアで見た遺跡に似ています。
王子と身分の低い娘の恋。イスルムニヤ精舎の恋人像は人気があります。
あら~ ネコかと思ったらトラだそうで 愛嬌があります。
隙間のない石の積み方にも 当時の文明の高さがしのばれます。
彫り物がされた柱や 人や動物が彫られた壁。
カンボジアのタ・ブローㇺを思わせる ガジュマルの木。
えらいお坊様の納骨堂。こんなにでかいのに 一人だけのお墓なんです。
ホテルはどこも立派で清潔でした。スリランカは水が豊富なため どこの
ホテルもプールがあり プルメリアが咲いていました。
朝食・夕食はホテルで 昼食は出先のレストランで取りました。3食ともバイキングは
助かりました。 カレーのメニューはたくさんあり ピリ辛のものが多いおかずは まず
一口取って食べ 美味しかったらおかわりする という食べ方をしました。
今日もけっこうな歩数あるいています。だいじょうぶかなぁ明日 と心配しつつ
毎晩眠りました。
平和な島スリランカで昨年4月 同時爆破テロがあり 多くの方が亡くなりました。
今回迷ったものの出発しました。ところがテロより 数倍も怖いものがありました。
出発日はそうでもなかったのに わずか1週間で コロナウィルスが猛烈な勢いで
広がっています。春節が始まる1/25帰国しましたので 大丈夫とは思いますが・・。
アキノ氏のように夫を殺害され 妻が首相になったのですね。
世界遺産ゴール市の 旧市街の高台に城砦がありそこから見下ろした
市街全部が波にのまれ スリランカでも死者行方不明者が4万人超
の犠牲者が出ており 日本人観光客も亡くなったとガイドから聞きました。
あの当時私たちも地域単位で義援金を納めました。
当時デさまたちは 姉妹都市の復興に尽力されたのですね。
あれからもう16年も経ったのですね。
私目線の旅行記 というか忘備録みたいなものですからどうぞ期待なさらず
おばさんの旅日記 くらいな気持ちで目を通していただけたら嬉しいです。
それも15年も前に行かれたのですね。キャンディは今回私たちも
行きました。「ダンブッラの黄金寺院」と「仏歯寺」へ行きました。
たくさんの寺院へ行ったので もう頭の中がどれがどれやら
という状態で 撮った画を見つつ思い出している状態です。
紅茶とか世界初の女性首相 バンダラナイケさんのイメージでした。
一変!したのが2004年に起きたスマトラ沖大津波。
近隣の吹田市(大阪府)が珍しくスリランカのモラトワ市と姉妹都市で
大津波のときは駅頭などで義援金活動が行われ私も参加しました。
国際交流とは 単に交流を深めるということではなく
「大きな災害がおきたときにどう支援するか」に象徴される
「心と心、命と命をつなぐ」交流だとそのとき実感しました。
そんな少し旧いことを思い出したスリランカ紀行、続報が楽しみです。
お嬢さんとスリランカへ行ったらしたんですね。
それは心強く、楽しいご旅行だったことでしょう!
私は2005年の8月、まだ「あいち万博」の最中に行きました。キャンディの世界遺産「ベラベラ祭り」を観に連れて行ってもらいました。
とても懐かしくこれからの旅行記を楽しみにしております。
まだお疲れも残っていらっしゃるでしょうからゆっくりお休み下さいね。
娘が毎日のように来て肩や腕を揉んでくれ 今はほとんど
痛みが消えましたので 今までの指圧代をこれで支払いました。
同時爆破テロの被害にあった協会のそばも通りました。
確か日本人からも犠牲者が出ましたね。
暑い中を 一般の家庭の人と思いますが家族全員が白い服を着て
仏塔のまわりに座りお祈りする人達もたくさんいました。
信仰の厚い国です。お寺の境内というか広い敷地内には犬やネコも
たくさんおり 参拝者がエサをあげているそうです。
今の季節でも 暑くなるし混むし ということで早朝出発しました。
スリランカは まだまだ発展途上国ではありますが観光に力を
入れており 昨年のテロ以来 観光地は陸軍の兵士が小銃を
携えて詰めていました。モロッコでもそうでした。
トルコには見どころいっぱいの エフェソス遺跡がありますね。
トルコは昔から日本が大好きな国ですから歓迎されますよ。
地震や新型肺炎・テロなど旅に出るは心配事が尽きませんが
そうそう 飛んでイスタンブールですよ 楽しんできてね。
それでも1日に1度はスコールが来ました。大粒の雨が
10分足らずでしょうか 通り過ぎました。スリランカについては
何の知識もなく行きました。1000年以上前の遺跡群を帽子を
かぶって もっと見学したかったです。
まだ50年足らずの名前です。セイロンティーなら名前からして
香り高い紅茶という響きですが スリランカティーとは言いませんもの。
近くに住んでも 娘と2人で旅したのは今回が初めてです。
気は使わなくて済みますが遠慮のない分 ケンカもしました。
私はそんな高度なことは出来ません。今回はスリランカの
世界遺産を巡る旅でしたので 事前にもっと勉強していかねば
なりませんが毎度のこと 行きの機内で本を少し読んだだけ
という 何でも切羽詰まってからやる というお粗末さです。
今回はいつもの旅友といっしょではなく 娘と行きました。
はい 私はあんま機を連れて行ったつもりでしたが
肩も腰も揉んでくれませんでした。旅費は私もちです。
真冬から真夏へ そしてまた真冬に帰ってきました。
としていましたので 旅に出ると もっと真面目に運動
しておくべきだったと後悔します。同行の皆さまは
年配者もいましたが年中旅している方々で 日頃からの
鍛えようがものすごいです。反省反省の旅でした。
お嬢様とご一緒ならご安心でしたね
内戦も長く続いたそうですが、今は落ち着いているのかしら ?
そうでした。
テロもありましたね
あれは、 ISが 関係して新しいテロのようでしたが、
仏教に関する遺跡が 残っているのが よろしいですね。
ISだと一切合切爆破してしまうから
海外旅行 娘さんとご一緒とは最高の旅でしたね。
遺跡が凄いですね。信仰の厚い国なんですね。
旅行に出ると日頃話さないような話もできていいですよね。
うちは両親と3人旅行でしたが、
両親の知らなかった面を発見できて興味深かったです。
さてスリランカ旅行、旅行記楽しみにしてます。
あたしは仕事で2度行きましたが
なぜだか2度ともシーギリヤロック頂上まで行きました。
今でもよくやったと思いますが、
どうせならくりまんじゅうさまのように
いろんなところに行きたかったな。
ひとまずくりまんじゅうさまの旅行記で勉強だ
スリランカへ?
しかも、娘さんと。
くちこも、昔はよく、娘と二人旅しましたが、今はとんと。
娘とプーケットに行ったことも。
遺跡、凄いわ。
よく残っていましたね。
くちサメは、今日、自宅を出発、明日、トルコ🇹🇷に向かいます。
地震も新型肺炎も懸案事項ですが、飛んでイスタンブール。
こちらの遺跡もまた載せますね。
海外旅行だとにらんで(笑)いました。
おぉ、大当たり\(◎o◎)/!
スリランカでしたか~
私は、スリランカというと紅茶くらいしか浮かばず・・・
楽しみ~~~
娘さんとの旅行? うらやましい限りです。
冬眠をしていらっしゃるかと・・・(壊Φ∀Φ)
海の向こうへ行ってらっしゃったんですね^^
わー^^当分旅行記の楽しみが出来ました!
娘さんとなら気兼ねもなくいい旅行だったでしょうね~♪
娘さんと2人だったのですね
こんな親子旅も 良いですね
お財布は 勿論・・・
更新されないので 五台山で何かに襲われたかと思っていました
旅仲間で いい旅が出来たようですね
歴史に触れ 美味しい食事
次も楽しみにしいます
旅行へいかれていたのですね
結構な歩数を歩かれた毎日だったのですね
お疲れさまでした
スリランカってどこにあると思いましたが
地やんと地図もアップしてあり助かりました
インドのそばにあったのですね
旅行記を楽しみにしております