今日はスリランカ観光の目玉 世界遺産シギリヤ・ロックに登る日です。
ジャングルの中ににょっきりと 天に向かいそびえ立つ岩山は 南北が
約400㍍ 高さが180㍍あり 巨岩の頂にはかつて王宮がありました。
空撮は軍艦のようでもあり 東洋のマチュピチュ とも言われています。
5世紀後半 シンハラ王朝の王カッサバ1世が築いた都城 シギリヤ・ロックには
悲しい物語があります。
カッサバは ダートセナ王と側室との間に生まれ 一方弟は 王の正妻から誕生
しました。 やがて弟が 王位を継ぐことは明白です。
カッサバは策を練り 父ダートセナを部下に殺害させ 弟をインドに追放したのち
477年 カッサバ1世として即位し 天然の要塞シギリヤ・ロックの頂に7年もの年月
をかけ 王宮を築きました。
強引に王位継承をしたものの 父殺しという 仏教徒として最大の罪を犯した彼の
後悔と苦悩があり 追放した弟からの復讐にも 怯える日々となりました。
岩山に築かれた王都シギリヤは 完成からわずか11年で 短い歴史を閉じることに
なります。追放した弟に攻められ 戦いに敗れたカッサバは 自ら命を絶ちました。
カッサバ1世の野望と 悲しい親子の物語を知ると 権力を一人占めするため まだ
記憶に新しい最近 兄やおじまで殺した 近くの国の 独裁者の姿とダブります。
シギリヤ・ロックが注目を集めるようになったのは 英領になってからの1857年に
この岩山の西側面に描かれた美女 シギリヤレディが発見されてからです。
写真OKは精巧に描かれたレプリカです。本物は3年ほど前に撮影禁止となりました。
最初は500人ほどいたようですが 劣化が進み今現在 レディは18人とのことです。
殺害した父の供養のため これら美女を描かせた という説もあるそうです。
シギリヤ・ロックへ出発する朝まで どうしようかと迷っていました。階段は
1000段 あるいは1200段と言われており 行けるところまで登って だめなら
引き返すつもりでした。 が添乗員さんに聞くと
登り下りとも一方通行で 途中から引き返すことはできない。迎えのバスは
降り口で待っている。登り下りで2時間の予定です と言います。
7-8年前 讃岐の金毘羅さんへお参りしたとき 785段と言われる石段を登るに
1時間以上もかかりました。 今より7-8歳も若い頃から 私はヘタレ女でした。
ならどうみても シギリヤの階段は半日かかる。そうなると皆様の午後の予定
が大きく狂い迷惑をかける 遠慮しよう となります。
スリランカへ来てシギリヤ・ロックに登らず帰るは 焼き肉屋へ行って 肉は
食べずソーセージのみ食べて帰るに等しい とそんな気もしますが仕方がない。
「地理教師 見てきたようなウソをつき」 はい まさにその通りで秘書の写真
とレポートでお送りしております。 あ~恥ずかしい 脇の下汗びっちょり・・。
その怖れた階段です。
王様は岩山の登り降りはかごに乗って 6人のかごかきが担いだとのこと。
途中で王様が休む休憩所には 天井に美しい絵が描かれていたそうです。
スネークヘッド岩。キングコブラですな。
頂上はマチュピチュそっくり と10年ほど前マチュピチュを旅した
秘書が言っておりました。
シギリヤ・ロックに登らずともお腹は空きます。昼食・夕食ともに
ジンジャービールを注文しました。ノンアルコールで生姜味がいけます。
結局 父を殺し無理やり王の座に就いたカッサバ1世は 11年という短い間しか
王宮に住めませんでしたが のちのスリランカに 大きな遺産を残しました。
階段が数珠つなぎになるほども 海外の観光客に人気がある シギリヤ・ロック
の外国人入場料は 1人が3,000円ほどかかり この国の物価額から言えばとても
高額で 外貨を稼いでいます。
今日は 歯切れの悪い言いわけ等で とても長くなりすみません。
仲間の皆が娘に「お母さんはどうしたの?」と聞き娘が「母は病気だから
登れません」「えっ なんの病気?」「肥満病なんです」のやり取りが
この日の朝あったそうです。
今回のメンバーは私より年長者もいましたが皆さん
日頃からバリバリに鍛えている人たちばかりでして 私みたいに
ろくに運動もせずに いきなりシギリヤ・ロックに登ろうなどとは
無謀でした。反省して 帰ってからは努めて歩くように心がけています。
あらそうですか。金毘羅さんのかごは廃業になりますか 残念ですね。
次行ったときは頼もうと思ってましたのに。断られたらショックですが。
高齢化と後継者不足ですか 農家と同じですね。
だんだんこうして 昔からの名物が廃れていくのは寂しいですね。
ところで、こんびらさんの駕籠は、いよいよ廃業されることになったと聞きました。ここでも高齢化と後継者不足が原因なのだとか。
よい旅を❗お楽しみください。
やっぱ1番でないと いかんものでしょうかね。
カッサバ1世はギラギラした野望に燃え 血塗られた王座を得ましたが
後悔と反省 やがて弟に復讐されるという恐怖心・猜疑心から
寂しい一生を終えました。素直に弟が王になっていたら側室の子ながら
一生安泰でいい暮らしが出来たろうにと思います。
北の将軍さまと似てますね。でも将軍様は後悔も反省もないでしょうね。
江戸時代のように2人で担ぐかごです。ずっと以前100㌔超えの知人が
頼んだら 断られたそうです。金毘羅さんの石段は横巾が広いので
かごかきは2人が横になり歩けますが シギリヤ・ロックは階段の巾が
狭いので この王様のかごはどんなだったでしょうね。
6人が交代で 抱えるように王を運んだのでしょうか。
今回のツアーでシギリヤ・ロックに登った 70代後半の女性の手を引いたり
背後に回り背中を押したり(これも職業です)の人に
助けられ 彼女は頂上まで
登ったそうです。その男は仕事をしつつ あと少し もう頂上が見えました
などと日本語で言い 押したり引いたりしつつ彼女を励まし続けたそうです。
頂上まで着いて彼女はとても喜び その男に1000ルピー(日本円で600円)
を渡した と娘が言っていました。この国では男性が1日働いて得る賃金は
約500ルピー(日本円で300円)だそうで 彼は大喜びしたそうです。
王になら無いと 死が あるのか ?
王になっても 猜疑心に苛まれて 苦しむ・・・
そんなお話は 数知れず
でも読む、観る分には 面白い
緑が 綺麗ですね
階段 昇は易し、降りるは苦しです
金毘羅さんは、大丈夫でしたが、
ただの高原から降りるのに 階段で 膝が 笑って 辛かったことがあります
いいお話を伺いました
幾らかチャージし王のように籠での登り下りも出来る様にするのもアイデアに思いましたが
金儲けに欲のない国民なんでしょうかね ^_^
登り口で降りたバスが 降り口で待っているため絶対に引き返せない。
階段は下が透けて見えるため怖かったと娘が言っていました。
写真や映像で見てもいつも階段は人で満員で ひょっとして
階段が崩れ落ちることは?でしたが立派な階段でした。
その方は健脚ですね。今回も70代後半の男性が参加しており
奥様と元気に登りました。聞けば海外・国内と交代で毎月旅しており
モンブランにも夫婦で登ったというツワモノご夫妻でした。
鍛えねばだめ!と今は思っていますが すぐ楽に走る私・・だめね。
先の人が落ちたら 下の者もいっしょに落ちますので大惨事になります。
雨の日なんか滑るし危険ですね。食事は毎度カレーが多種
並んでいましたが私にはどうも・・。でも3食ともバイキングは有難い。
日本人好みのものもたくさんありました。
贅沢な王宮を建てましたが 父殺しを後悔する日々を送り 最後は追放した
弟に攻められ自害するという 孤独で寂しい王と言われています。
日頃何もしてないと1200段は登れません。お四国の階段も
あえぎつつ登ったけれど 長くても200段くらいでしたから。
行ってよかったと思いました。ただ残念はシギリヤ・ロックに
登れなかったことです。でも今思っても正しい選択をしたと思います。
階段の途中で動けなくなったら 皆さんに大変な迷惑をかけるところでした。
何をするにも体力がないとだめだと つくづく痛感しました。
1200段は20年前なら楽に登れたのに もっと早くここに来るべきだった
と言ったら 20年前のスリランカは今ほど海外客が泊まれる
ホテルが少なかった とガイド氏が言いました。
ゆりさん いいときに行かれましたね。私は今から鍛えても間にあいません。
途中で引き返せませんか( ´゜д゜`)アリャー…
そりゃ無理されなくて正解でしたね
でも悔しかったお気持ちは十分理解できます
ヨチヨチ(*´ェ`)ノ(ノд`*)+゚*。ウゥ・・・
私は・・・階段は上れそうですが・・・
高所恐怖症でしてね^^;
未だにこの4階のマンションのベランダから下を見下ろすと
落ちないといけないような錯覚に陥りますので^^;
くりまんじゅうさんとご一緒したとしたらとっとと
ビールで乾杯してますわア、ハ、ハ。。。 (∩。∩;)ゞ
(*  ̄▽)o□☆□o(▽ ̄ *) カンパーイッ♪
ひとりで参加です。(ツアーですが)
この階段を上ったかは分かりませんが、パワーがないといけませんね。
ふだんから鍛えていないとだめですね。
次の目標をもっていけば鍛えてください。
まだ大丈夫ですよ。
名ガイドさんの話を 読んでいたのに!
写真から 凄い階段ですものね
ワタシも ご遠慮したいです
階段もですが スネークヘッド岩 なんて有るんの知っていたら やはり・・・
ここで 歴史の勉強をさせ頂きました
そして質問 お食事は お口に合いましたかぁ
カサッパ1世もそうですが
私もよう上らないと思います
でもゆりさんもおっしゃって見えますが
眺めは最高でしょうね
でも、このお城は私も最初から無理ですね。三年前も、よさこい踊りを見た翌日、子供たちと金毘羅さんに行ったけれど、途中でギブアップしましたから。
70歳を超えて、さらに足腰が衰えました。60代にもっとあちこち行っておけばよかったと後悔先に立たずです。
登らなかったのはご無理ないです。私、今だったら嫌です(;^_^A
ひょんなことから、実は私ここへ行ってるのです。
旅行など殆ど行けなかったのに悪いことの中にもいいことがあるんですね。
当時は若いといっても目まいがありましたので、登るのに泣きそうになりました。
足は丈夫でも、目まいを起こして、ここで落ちたらみんなに迷惑がかかる・・・
下なんかとても見られなかったのです。
怖かった・・・でも頂上で見たあの景色は私の心の故郷みたいになってます。帰りの階段は楽でした。
やっぱり、今ならぜぅたいに登りません。目まいはなくても(;^_^A
でも!くりまんじゅうさんは、きっと!他が楽しめたことでしょう。