県立牧野植物園で小学生を対象とした 植物図コンクールの作品展を
やっており 牧野博士の植物画も見られると聞いて 行ってみました。
植物画ギャラリーには 博士の植物画と写真の数々が展示されていました。
植物画や写真の 劣化を防ぐためでしょうか 照明が暗いです。
自由民権運動をしていた21才ごろの富太郎 『らんまん』が今 そこをやっています。
22才で上京 帝国大学理科教室で研究に没頭する。
26才で結婚 妻の壽衛は15才。
壽衛は14人の子どもを産み そのうちの7人が育ったといわれます。
壽衛が54才で没し 富太郎は新種の笹に『スエコ笹』と名付けました。
『家守りし妻の恵みやわが学び 世の中のあらむ限りやすゑ子笹』
植物画はどれも緻密で美しく これ1枚にどれほどの時間がかかるでしょう。
桜を見てだれもが思うは「美しい」ですが 富太郎の場合は やまざくらを
解剖して↓こうなります。
絵はもちろんのこと 几帳面な字も とても上手です。
形がムジナのしっぽに似ていることから『ムジナモ』と名付けた解剖図が
ドイツで高い評価を受け トミタロウ・マキノの名前が知られていきます。
富太郎の名前が有名になるにつれ 帝国大学教授の反感を買い 研究室に出入り禁止と
なるなどの目にあいつつ 今も使われている植物図鑑を自費出版します。↓この写真を1枚追加しました
途中過程がこれ。びっしりと朱書きで校正と追加が書かれています 照明が入って見苦しくすみません
拡大したものが こちらになります。
牧野植物園には 富太郎の集めた押し葉標本が多数保管されており 季節ごとに展示されます。
今回の展示は ハマアザミでした。
研究に湯水のように金をそそぎ 富太郎が生涯に買った本は いまの価格で数億円
といわれており 佐川の実家には 無心ばかりしていました。
その資金を祖母の浪子(松坂慶子)が送金し続け その結果富太郎が実家を没落させた
ことになる とギャラリー内のビデオでやっていました。
最晩年の富太郎は 絵はがきにもなったようです。
開園の9時に入りましたが 平日でも1時間後にはおおぜいの人になり 帰ります。
帰りに 牧野植物園に勤務する人と話ができて 聞きたかったことを質問しました。
泥になる植物採取に いつ見ても背広に蝶ネクタイの富太郎の姿って これはなぜ?
園に勤務する人が答えるには
博士は大変な伊逹コキであり 借金まみれの時でもオーダーした背広を着て 野山へ
出かけるときも正装でした。そのために台所は火の車で 標本を保管するための広い
家が借りられず 30回も転居したとのことです ⇐ あらら 家庭的ではなかったのね
実家をつぶすほどもお金を使い 貧乏な中から 世界の牧野に育て上げた妻を思えば
富太郎はつねに人に恵まれた生涯でした。これを長田育恵さんがどう描くか楽しみです。
わわ~ ものすごく長くなりました。最後まで読んでいただき ありがとうございます。
言いそびれて今日までになりました すみません。
あら 浜幸さんが『花と恋して』というお菓子を出していますか。
『らんまん』からこっち 他のお菓子屋さんも新商品を出したでしょうね。
今日はもっとマシでしたが 昨日は牧野植物園へあがる五台山の入口は
終日ガードマンが『駐車は高知新港へ』の看板をあげていたようです。
エリコさんはご存知でしょう。五台山は上りと下りが一方通行ですが
GWなどは県外客が多いため 逆走してくる車がたまにいますので
怖ろしくて上がれません。
ブームが過ぎてからゆっくりと行きたいです。
エリコさんも息子さんがこちらにおられるうちに 何度も行ってくださいね。
酒蔵は廃業になるんですね…(*_*)
今日帰省して来た息子が、「婆ちゃんにあげといて!」と浜幸さんの“花と恋して”を買ってきてくれていました(朝ドラ記念の新商品)。
婆ちゃんはTVを見てるのかなぁ…苦笑
その祖母は富太郎の爺さんの後添えで 富太郎とは血縁がないですが
富太郎の両親が早く亡くなり 親代わりに彼を育てました。その祖母が
富太郎が上京してすぐに亡くなっており なのに莫大な額の送金を
長年続けたのはだれ?という私の中の疑問がありました。
真相は富太郎が上京前に祖母が勧める 3歳下のいとこを嫁にもらい
嫁を置いて上京後 愛人ができてその愛人がのちの妻寿衛です。
驚いた事に東京の妻と土佐の妻は仲が良く 土佐の妻が富太郎に送金し続けた
ということになります。富太郎の土佐の妻のことは牧野の著書にも一切なく
秘密にせねばならんかとも思いましたが 高知新聞へ出ましたので私もここへ書いています。
https://www.kochinews.co.jp/article/detail/646062
ドラマの中で松坂慶子祖母が いとこにあたる姉と結婚せよと言った回がありました。
富太郎はひとりっ子ですので 長田育恵さんが土佐の妻について触れたのか?
とも思います。そのいとこの猶が 富太郎の最初の妻になります。
土佐の妻猶はお金を送り続け 江戸の妻壽衛は忍耐を続けて 富太郎は世に出ました。
普通なら仲が良いなど考えられぬ正妻と愛人の関係ですが 実際2人が協力して
牧野富太郎を作ったとなると 富太郎には底知れぬ人間の魅力があふれていた
ということになります。
そうです そうです 世に名前を残す人は周りの人を踏み台にして のし上がっています。
龍馬の妻お龍も20代で未亡人になり あとは苦労の連続でした。
そうして後世に名前を残す人は 何があってもこの人の力になりたい
と周りを思わせる人間力が備わっていたと思います。
4ケタの数字を間違えたのか?それなら他のどなたかのコメ欄に飛んだのか?
と再度コメ入れたら 前回表示されなかったものといっしょに出て
結局2つ相手にコメが入りました。
以前にも一度ミッキーさん宛てに入れ 入っているつもりが表示されなくて
??と思ったこともありました。
今日は朝から牧野植物園行きの道は満員で 登り口でガードマンが
『高知新港へ車を止めてください』の看板をあげていたようです。
GW中はものすごく混雑でしょう。
どこかに旅しているようなので失礼かと思いましたが再度 投稿させていただきますね
朝ドラ
毎回ワクワクドキドキです
自由民権運動にも影響を受けていたとは目から鱗です
彼の生涯 格式ある酒蔵を持つ牧野家
その生涯は波乱万丈
くりまんじゅうさんに予備学習させていただいたので益々興味が持てました
朝ドラより楽しみになりました
この写真には私の短い指が写っており 何となく載せる気がしませんでしたが
お役に立てて何よりです。
遅生家のように親から子へと伝わり 親子で活用された牧野植物図鑑の例は
富太郎自身も こんな使われ方をいちばん喜んでいると思いますし
生活苦から食うや食わずの暮しだったはずの富太郎の子や妻も喜びます。
もう子どもは全員いないと思いますが 各地に孫・ひ孫はいるはずです。
こちら富太郎の故郷にも 富太郎の親戚はたくさんいると思います。
表紙が革だった気がするので、左から3番か4番目の本だったと思います。
先日、明治、大正の書籍、教科書を相当量、整理処分しましたが、その中にはありませんでした。また、探してみます。
ここには富太郎ゆかりの植物がたくさん植わり 自然を生かした造りの
公園になっていますね。
富太郎が資金に困り それまでに集めた貴重な標本を海外に売ろうとしたとき
神戸の資産家 池長孟氏らが借金を肩代わりしてくれて以来 神戸と富太郎との
強い絆が生まれたことを今回知りました。肩代わりする条件がまた おしゃれです。
吹田市に富太郎ゆかりの旧西尾家があって それが取り壊されようとしたとき
多くの人が反対し 壊されずいま残っていることをこの運動にかかわった人の
blogから知りました。これもいい話ですね。
六甲高山植物園へは行ったことがありますが 神戸市立森林公園はまだですので
旧西尾家もあわせて 一度行きたいと思っています。
すぐ目を引くものもなく地味な植物園で 小さな子ども向きではないですが
じっくり時間をかけて回るなら そして牧野富太郎に興味があるなら
一日中退屈しないと思います。東京にも牧野記念庭園があるそうですね。
富太郎のひ孫さんが出てきて 庭園の説明をしている番組を観ました。
54で亡くなるまでに14人の子を産み 富太郎の資金援助のため
呑み屋をやって稼いだ時代もあったそうです。いつも家の周りには
借金取りが来ており そこへ富太郎が帰って来ぬようにと 借金取りが居るときは
遠くから見えるように 旗を立てていた逸話も残っています。
富太郎にとって実家の祖母様と 妻の壽衛は神様でしたね。
適当に写真を撮ってきて 並べてあるだけですよ。私にもっと植物の知識があれば
ここがポイントという紹介の仕方があったと思います。『らんまん』放送中は
牧野植物園は観光客も多いと思いますが そのうち平常にもどると思いますので
ぜひお越しください。花の絵を描くにはぴったりです。
富太郎の実家は佐川町の岸屋(ドラマは峰屋)という老舗の造り酒屋ですが
富太郎の長年に渡る『金送れ』の無心に 祖母の浪子(ドラマはタキ 松坂慶子)が
送金を続けその結果 実家は破産し身代を潰しました。
植物図鑑を自費出版するにあたり↑の朱書きの校正と追加もそうですが
印刷にまで富太郎は細かい指示を出したそうで この植物図鑑を自費出版
するにあたり大金をつぎ込み それまで集めた富太郎のすべてが注がれています。
富太郎は小学校中退という学歴のハンディがあり 帝国大教授らから
冷遇された時代もあって その反骨心が大きな仕事を成し遂げる原動力に
なったろうねと 展示館で富太郎の生涯を綴るビデオを見て思いました。
実家の身代をつぶすほどの資金力 命ある限り富太郎に尽くした妻壽衛の忍耐
それらが揃ってなければ 牧野富太郎は後世に名前が残らなかったでしょうね。
言われるように 世に名を残す人はたいてい家族を泣かせています。
志尊淳さんを知りませんでしたが 土佐弁も上手だし いい俳優さんですね。
↑ のコメントで、送信者の「名前」と「タイトル」が同じの「くりまんじゅうさんへ」になってしまいました(><)
周りの支えもすごいことですけど ここまでの仕事を成しえたことに 驚きです。
以前より くりまんじゅうさんのブログで植物園の記事を見るたびに
行ってみたいと思っておりましたが いくら時間がとれるようになったとはいえ
今年は ちょっと遠慮ですねえ。
いつか 行ってみたいところの ナンバーワンです。
博士の名声以外何も知りませんが、くりさんのこれを読んだ限りでは超学者バカ一筋のように見えます。
回りが目に入らず、自分の世界に入り込んでしまう
子供を14人も作ったことだって知らないのでは?
奥さんは大変な男と結婚しましたね、15歳で結婚、子供産む、育てる、家事をする
昔の人は辛抱強いうか、あきらめなのか
今の女性人人権運動家には許しがたい男なのではないでしょうか?
見ていませんが、朝ドラも連ドラの仲間に入れたくなりました。
クリさんの丁寧な記事に益々興味が出てきました、
良いものを見て来れれましたね(^0_0^)
行きたいけどちょっと遠いです、
ハラハラしながらテレビを楽しみに見ることにします、
図鑑を出版するとなれば、精密な植物画ももの凄い量を描かなければなりませんし、それだけでも膨大な作業ですよね。
頭が下がりますね。
牧野富太郎の名前は子どもの頃から知っていましたし、教科書にも出ていました。
でもこんな人柄でこんな人生を送った人だったとは知りませんでした。
神木隆之介さんと牧野博士、雰囲気似てますね。
世に名をはせる人は、多かれ少なかれ、家族を泣かせた人ですよ。
その家族あっての偉業ですから、本人より家族の思いに心を寄せてしまいますやってます。
竹雄の志尊淳さんもいい役どころやってますね。
確かにそうです。新種の発見は数知れず。それに名前を付けており↑の絵の
『ムジナモ』を見つけた時も『タヌキモ』の名前にするはずのところ
既にタヌキは登録されており ムジナになったらしいです。
壽衛さんは15で結婚し 14人の子どもを産むってこれもすごいです。
何よりも心の糧になりましょう。
あ、草取り大変だ!なんて、いわれないとおもいました。小さな草にも命あり・・・
らんまん”は 毎朝の楽しみ、ちょうど朝ごはん時なので行儀悪いけれどテレビ見ながら、お箸が止まるときもあります。
15歳で結婚、14人もの子供を産んだ奥様、そのすごい力で牧野博士を支えられたのですね。
撮影しているようですね この前撮影中に事故があったようです。
妻の壽衛さんは偉いです。生活力もなく毎日ふらふらと雑草集めに
精出す夫など 私ならすぐにお別れしています。そんな意味でも富太郎は
いい妻をめとりました。偉人の影には必ず支える力があります。
記事に1枚追加しました。改訂増補や増補版・第七版などの文字が見えますので
これらも初版本ではないみたいです。でもこのどれかをご両親も愛用され
それを次の世代の 息子が見て育つとは素晴らしいことです。その子ども時代に
今の遅生さまの素地ができたと思えば 親御さんもきっとお喜びです。
そんな使われ方を牧野博士も望んでいたはずです。いいお話を聞きました。
本人はもちろん家族も被害者ですが 富太郎の場合は 生家と妻や子らには
不都合や迷惑をかけましたが こうして世界に名がとどろく植物学の第一人者になれて
祖母様も 若く亡くなった奥様も喜んでいると思います。
資金がなかったら 理解者の妻がいなかったら 成し遂げられなかったですね。
分からない状態で 背の届くところと照明が明るいところの写真を撮って
記事にしているだけです。もっと大切な伝えねばならん箇所もあったはずですが
素人の日記帳として見ていただけたら嬉しいです。
送金する人がいて 貧乏を苦にせず夫を世に送り出した妻がいて 富太郎は幸せ者です。
ビデオを観てきました。富太郎が度重なる実家への無心で その都度大金を送ったのが
祖母(ドラマでは松坂慶子さん)とされています。血のつながらない富太郎に
祖母はお金を送り続け結局 造り酒屋は破産し廃業となりました
サクセスストーリーとするなら 妻の壽衛の物語ですね。
すっかり有名になって 今日の雨でも園には大勢の人が入っていると思います。
イタドリなます なかなかイケますでしょう。
釣さまも気に入ったみたいで 何度も記事にされていましたね。
あれを知ったのがイタドリが終り頃で 来年は出初めから作ります。
ひょっとしたら真面目一筋のお父様から見たら 家庭人には失格の富太郎でなく
あの時代にやりたいことを成し遂げたという稀有な生き方にあこがれも
あったのじゃないかしら と私は想像します。お金は使い放題 家庭はかえり見ず
我が道を行く富太郎。そうでないと世界の牧野にはなれなかったでしょう。
どんな形で?と思っていました。土佐清水市にはジョン万の生家があり
以前 岩合さんのネコ歩きでも紹介がありました。
牧野植物園の展示館では常時 博士の生い立ちから亡くなるまでの
ビデオが流れています。お近くならぜひご覧ください。
朝ドラ『らんまん』をご覧になっているのですね。
昨日はジョン万次郎が出てきましたね。最初の頃は天狗になって
坂本龍馬が出て来るし 奇想天外な発想で面白いです。
いよいよ万太郎が上京するところまで来ました。これからの展開が待たれます。
GW中に 牧野植物園には観光客がたくさん訪れると思います。
園は入ってみてこりゃすごいという だれもが飛びつくような感じ
ではなく じっくりと時間をかけて見るタイプの植物園です。
季節ごとに花が変わるし 催しものもありますので
ぜひお出かけください。
先月高知に足を踏み入れたからでしょうか?(笑)
次回高知に行く子とがあればここに行ってみたいと思っています
当分はドラマの影響もあり、訪れる人も多いでしょうね
人が何か大きなことをなすときにはかなり回りの人々の犠牲の上に成り立っている・・そんなことを思いました(笑)
しかし育ったのが7人とはいえ、14人もの子供を産んだ奥様もたいしたものですが・・・
写真をみれば11歳も年下にも見えず、この当時の54歳は今の80代よりも老けて見えますね
記事、仕事の合間に(休みつつ仕事なので)拝見いしてます。
牧野博士の1冊のエッセーと図鑑を購入してありますが、
家をつぶしても、放蕩道楽のみに終わらず・・・はすごいことですよね。
数億円の本・・・私もかなりの本を購入しましたが…大丈夫大丈夫。
私のお小遣い範囲で賄えてますから、誰からも文句は出てません(笑)
博士の記事、いつもありがとうございます。
くりさんお疲れ様
そして有難うございます
山へ登るようになって若い時には牧野博士のお名前が
載った植物図鑑を参考にしたものです
良家に生まれ お金の心配もどこ吹く風
奥様もお偉いですね
貴重な資料ありがとうございます
NHKドラマへ出てくる希少種のお花が 造花なのには
ちょっと残念
それは残念ですけど
苦労をされたんですね今の若いこのドラマの
サクセスストリーなどとは全然違うものですね
丁寧な説明感謝です
1度行ったことはあるのですが
広くて、絵がとても丁寧で綺麗だったことを、覚えています
イタドリのおなます美味しいですね
レシピ、釣りさまのブログで拝見し
作りました
ありがとうございました
植物にそんなに興味があった父が植物図鑑を持っていたのは
ボタニカルアートとしての牧野先生の作品に惹かれてなのか
牧野先生の生き方に憧れてのことだったのか、
牧野先生の植物学者としての業績を尊敬してのことだったのか
聞いとけばよかった〜と思いました。
レポートありがとうございます♪
ジョン万次郎さんからの図鑑の場面
切り取った絵では満足せず 四季に生きることに言及した事が心に残りました
お近くの 博士のお話楽しいですネ(*^。^*)
あさから
目から鱗
牧野富太郎博士の現地レポ
とても新鮮です
朝ドラ
毎日ハラハラドキドキですが、更に展開が楽しみになりました
ありがとうございました
テレビ見てないけど、興味津々です。
牧野植物園行きたい!
GW中に検索してみる。
いいなあ~くりまんじゅうさんは近くて。
しかし、支えてくれた
周りの人の苦労は大変だったでしょうね。