枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

日本のお祭り事

2009年07月08日 | Weblog
 今年は国際天文年。だからという訳ではないが、七夕祭りはせめて来月の7日にいたしましょうよ。旧暦での七夕をご存知の方は、うんざりする梅雨時期に七夕など思いつかないものです。夏休みのど真ん中辺りに、早朝より起き稲露や芋の葉の露を集めて、硯に向かって墨を磨り短冊に願い事を書き紙縒りに通して笹に吊るす。

 野菜も、この頃には豊富で野外で供えるのだ。同時にペルセウス流星群の流れ星が、運良く観られたりする。藪蚊に刺され線香に咽たりしながらも、夕涼みのできる楽しみがあった。

 西瓜の種を飛ばし、まくわ瓜にかぶりつき庭に広げた筵では干瓢剥きをしていた。干瓢の芯は、牛が食べたり、形の崩れていないところは夕食のおかずであったよ。母は粗忽者で、しょっちゅう半煮えであった。

 今は手に入らないから懐かしく美味しく感じられるが、子どもの頃にはうんざりしていた。トマトや胡瓜はおかずであるのに、台所の塩をそっと持ち出し畑で採ってかじっていた。無論見つかって、大目玉をくらった。

 夕焼け空には蝙蝠が飛び風呂を焚きながら、やがて夕闇の訪れる空をぼんやりと眺めていた。風呂焚きの煙突からの煙か、空の色か区別できなくなると宇宙に瞬き始める星の群れ。

 風呂上り、天花粉を叩かれて寝巻きに着替え蚊帳の中から、開け広がった庭が見え祖母の使う団扇の音が子守唄のリズムになっていつしか眠っていた。目覚めると祖母の姿は布団になく、既に一仕事を終え滴る汗を拭っている。

 七夕の紙縒りは障子紙の古いのを切って作るか、田の畦にある草を刈って紙縒りの代わりにする。飾った後には、川に持って行って流すのだ。それで十分であった。自然にある物をじょうずに使い、無駄を省く。祖母は、工夫することを惜しまなかった。

 自然とうまく付き合うには、相手のテリトリーを犯さないことだと話してもいたよ。どんな相手でも、断りなしに土足で踏み込んではしっぺ返しをされる。自然の掟は厳しい。でもそれを守っていれば、人間を生かしてもくれる。

 今日は休み。いつも水を分けてくださるAさん。足が痛いと言われるので、蒟蒻と生枇杷葉を持って枇杷葉温圧療法に行かせてもらいました。熱い蒟蒻を足の裏に乗せていると、どんどん悪い物が降りてくる。

 枇杷の葉が黒く変わる。2回してあげた。リンパ線マッサージをしてあげたかったのですが、自分の方が激務にぶっ倒れそうだったよ。それでも充分効果はありました。足が軽くなり、スタスタ歩かれていました。

 サンタさんに送ってもらっていた、アイスコーヒーを差し上げて帰宅。サンタさん、千葉のRさん。ありがとうね♥無農薬の珈琲が、すんごく美味しい!!って言われたよ。ありきたりのお中元よか、気がきいてます。ほんとうにありがとう。

 庭の白いポンポンダリア。物思いに耽っていたのか、声をかけて怒られてしまった。そろそろ肥料を入れてやらねば・・・。
コメント
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