枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

明日、輝くために・・

2009年07月30日 | Weblog
 道端の野の花は、刈られても、踏みつけられても、農薬を撒かれても、いつの間にか根を張り、花を咲かせている。自然界の掟は、子孫を残すこと。それ以外でも似内でもないのだ。従って、せっせと子孫繁栄の手段を講じる。人間は、そこまで深刻にはならない?いや、なれない。それ以外に仕事をしなくっちゃ。と思う。ばっからしいぃ、金の方がいいや。と亡者になる。だが、草木は要らぬお節介。一途に神の思し召しを守る。ところが花を咲かせ、実を成らせると枯れていく。

 人間は、死ぬのが怖いから、じたばたする。金を持っていても、持っては死ねないのに抗う。従ってよけいにひどくなる。自業自得。分相応であればいい。で、この基準が曲者。決めている内に、だんだんとハードルが高くなる。つまり降りてはこられなくなる。ここまで高い席に行っちゃうと、下が見えないのね。また見ようともしない。此処で気になるのは、工夫することが頭に浮かばない切実さ。ピンとずれ。因みにヒントはありませんよぉ・・・

 昨日は、二進も三進も行かず、お休みをした。今日もやや機嫌が怪しくなりそうだった。寒いです~ぅ。我が家は、未だに扇風機も出していません。勤務先では、寒くなるほどかかっています。家に帰れば、身体を温めねばならぬ有様。血液の循環も滅法悪い。ほんとに嫌になっちゃう。暑い筈の夏場に、骨の髄まで寒く、冬は汗が出るほどに室温を上げる。これが温暖化の原因でなくてなんであろう。

 千葉のRさんは、仕事柄、著名な方々にお会いすることが多い。で、思うのね。ミーハーな私などはつい、お会いできただけで大感激。握手にサインなどは元より呂律が回らなくなって、失態しそうである。そういう事態をどうやって乗り越えていくのだろうか?甚だ疑問なのです。理性の欠片も失せ、自爆するやもしれぬ。そうなったら、一体誰が骨を拾ってくれるのか!って。おおっと、脱線しちゃった。

 ドクダミの中の枇杷葉苗です。盛夏の時期、ドクダミに囲まれて行方知れず。然し健気ですね。懸命に光を浴びようと、呼吸しています。昨年での状態です。今年は、水分には不自由しなかったので、とても元気です。
コメント
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