太陽を直に観ようとしても、余りの眩しさに観られません。仮に二つの太陽があれば、人間は外では暮せない。というか、日が沈まないし、月は存在しない。従って、命の誕生はみられない。地球という星も、誕生していないことに、なりはしないか。
などと、太陽面を通過していく金星を観ながら、宇宙の神秘さを想っていた。科学の力で解明できているとは云え、わからないことの方が多いのも事実。また、膨大な宇宙の仕組みが、そんなに簡単にわかろう筈もない。
生き方の違いや、物の考え方の相違が、偶々偶然の発見に繋がり、知り得たこともあるかも。未知なることだからこそ、確かめていくのが面白いのだ。つまりは興味が尽きない。何に対してもだろうが、関心を持ち、探求していけるkとが素晴しい。
薔薇の挿し木をしたんだが、さあて上手くいくかな?近所の悪ガキが、うろちょろするので油断ができない。自転車での通りぬけは平気でやる。自分地と、他所地の区別がつかない。親の躾がなっていない。いや、親自身のことですな。
蛍が飛んでいることも知らず、塾に行って、遅くに寝る。子どもの頃には、外で遊ばせる意味も、勘違い平行棒というくらい、甚だしい。子ども達だけを、ほったらかしにするでない。大人が一人は見守りをしなきゃ。何やっているの?親は。
物事の基本は、一体何か?と思わず考えてしまう。言わなければならないことも、云われないで済むようにはできないものか。何が、どう違うのか、最近は解り難い。子育ての根本は、育む中で親も育っていくこと。呆れ果ててしまう。
晩春の頃、新芽が出てきた。あまり早く出ると、遅霜にやられる。