何と、数万円の傘がある。雨靴も、単色ではなく、とてもカラフル。まあ、高い物には、それなりの価値があるんだろう。それだって、消費税が上がれば、買える算段はつかない。ゴアテックスの企画には、雨合羽を着装しても蒸れないのがある。
息子がバイクで通勤というので、初任給で買ったが、確かに着心地がよかったそうだ。靴も同じだそうだ。強いて言えば、この節では、お金さえ出せば何でも買える。然し、真心は買えない。と思っていたが、遺産の段階でなら、取り分で決まる。
何だか、あくせく働いているのに嫌気が差す。とてもナイチンゲールの心境には遠い。人間の心の貧しさを、いくら問うても豊かにはなれないからだ。生涯が学ぶ事と、考えてはいるが、それもやはり、金銭的なことが伴う。
生きるという事は、それ自体が無欲でなければ、頓挫・挫折に打ちひしがれる。断崖絶壁を飛ぼうにも翔べれないのも事実。清水の舞台から飛び降りると、間違いなく大怪我、死ななくても一生動けまい。キリストの教えには、往きつかない。
芸能界でなくても、のっけから信用させる手口を使って、他人の金を無心し、挙句に返さない奴は多い。前科がないと、警察は動かない。或いは、自分の手柄にはならないことには、敢えて首を突っ込まない。誠意のせの字もないのが警察。
民間の庶民には、法律的なことも無知なことが多く、訴えるにも金銭的、時間的な余裕がない。泣き寝入りではないが、神の裁きを待つしかない。然るに、世の中とはそういったもので、騙される方が悪いのかもしれない。まあ、昔の方が粋ではあったと思うが。
雨の一日に、笹百合の開花が脳裏を過る。祖母の好きだった百合で、家の中に立ちこめる芳香に閉口した子どもの頃であった。今は、環境が上手くいかないと咲かない。育たないのだ。立てば芍薬、座れば牡丹。歩く姿は百合の花。
夏の到来を告げる薔薇の蕾。挿し木をして増えた。生協で買った苗木が枯れ、挿し木で地に下ろしたのが、たくさんの花を咲かせる。