木曜日の、ブログを転送し終えた時点から、ネットへの接続が不能になる。あっちゃぁ!然も、金曜日の休みには、散らし寿しを作っていたためと、孫の迎えが重なって、ocnへの連絡ができなかった。翌日は土曜で、日曜と続く。最悪である。
祝島への枇杷の注文はしたものの、返事が受け取れない。リエさんにメールをしたいが、送れない。仕方なく電話をかけるが、こちらも繋がらない。事態は悪循環を辿る。昨日、やっと話しができてほっとする。緊急事態の予測がつかないのも納得。
科学が進化し、発達するのはいいが、何か起きた時には、対応し切れない事実もある。原発は一番危険で、誰がどうやっても、終息することはない。再稼動はない。政府にそういった権限があることもおかしい。選ぶのは国民である筈。
宮本輝氏の『三十光年の星たち』を、再度読み返している。新聞連載で読んだのだが、もう一度読みたくなった。一因には、原発の再稼動への動きがあったからだ。初めの章の中に、主人公に云う言葉があるのだが、ひどく興味を惹かれた。
それは、物語の中であるから。小説ではないか。という思いもあるかもしれない。けれども私には深い想いの言葉に受け取れたのだ。然し、そういった希な人物が、日本中に、はたまた世界に、何人もいる訳ではない。
棚ぼた式はあり得ない。どんなに努力をしていても、報われないことの方が多い。或いは、要領のいい奴が、自分のことのように涼しい顔をしていることも。上司にはわからないようにさぼり、辻褄を合わせてくれる味方を持っている。
然し尚、神さまも居ず、自分のしていることが、無価値とは限らない。信じることも大切だし、不言実行を心がけるのも大切なこと。だが、これには相当の辛抱が必要だし、心の病になる可能性もある。挫けそうになった時の友人も要る。
幸いなことに、リエさん始め、心の通う友人は居て、さり気無い話題で察知してくれたり、ネットでの書き込みで安らぐこともある。何よりも、本の読めるありがたさには、慰めが多い。自分でも本が好きでよかった。と、感謝できる。
ネットが通じなくて、偶々、新聞蘭に松本清張の名を見つけ、テレビを観たが、どうも設定が似使わなくて困った。あの時には、小野寺昭と佐久間良子が演じていた。まあ配役の演技力を云うのではない。放映が済んだ直ぐ後に、次回作を見たからだ。
ちょっとした違和感を覚えた。先程の女優の余韻が、観たばかりで残っているのに、元気で溌剌とした顔が映っている。富士山の樹海に消えたのに・・・。嫌々、作品が違うのだから、それでいい。と、思えれない自分に戸惑った次第。
沢村一樹は好きなので、念のため。サラリーマンNEO、次作はしないのか?ぶらタモリも終わったし、つまらない番組が増える一方にがっかり。テレビを付けっ放しにするな。会話も何も、あったものではない。老若男女、テレビ漬け。
庭に置いてある鉢。ふと見れば、苗が育っている。時々遣る、枇杷葉茶がいいのかな?