枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

メリヤス

2012年08月09日 | Weblog

 メリヤス ポルトガル語。綿糸または毛糸で作った、機械網の伸び縮みする編み物。薄地の軟らかな毛織物、モスリン。とある。角川書店 昭和56 1月20日発行の物で、私の頭にある記憶と、さして違わぬ説明だ。してみると、間違った説明ではなかったのね?

 研修に参加していると、講義中の態度で、人柄がわかることがある。特に、介護の仕事には、ここまでという限度は、その先から医療系になる場合だ。何れも、相手に添うことは重要なこと。きちんと心のこもった対応には、安心が備わっている。

 人間は、老いてなおプライドがあり、例え認知症になろうと、僅かながら意思表示はできる。そのお手伝いをさせてもらうのが、仕事のように思える。その方の見える位置に居り、声かけをするのも、ぶっきらぼうでは通じないもの。況して、相手の眼を見たり、声音の確認は大切。

 今回、参加してみて、自分に足らない心構えや、様々な思いを依り深くした。言葉は、かければいいのではない。また、演技をすればいいのでもない。日常の何気ない暮らしの中で、普段通りのことが、普通にできることこそ、当たり前のことであろうか。

 体の機能が次第に衰えていくのは、全ての者に価する。認知症は避けては通れない。然し、なっていく過程を遅らせたり、和らげることは可能になる。死期の迫った人間が、死にたくない複雑な思いと、体の自由が利かなくなったことを、どれだけ理解できているか。

 哲学的な思想に耽る者は、少ないであろうし、そこまで考えてはいないだろう。死は全ての者に平等に訪れる。違うのは、方法と時期が異なるだけ。父母の死に、やっと区切りがついた。魂は、何時も傍に居るもの。自分のこれからの生き方を潔くしたいもの。

 リエさんから、亡父にもらった苗。いろんな種類であったが、3株だけ残る。ぐんぐん成長している。出窓のスペースで。

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