枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

蒸せること、夥しき・・・

2012年08月17日 | Weblog

 今晩の蒸せること、甚だ夥しき。帰宅して、夕闇の迫る半、水遣りをする。瞬く間に薄墨が立ち込める。宇宙には雲が多く、星は疎らに煌く。着替えて一息つき、珈琲で喉を潤す。残暑、尚厳しく、秋の気配遠からじ。

 枇杷葉の新芽が芽吹いている。これで3度目だ。自然界の掟に従っているのだろう。様々な要因との共通らしく、時期にあった条件に応じて、新芽なり、生葉なりを提供しているのだろう。人間は、ちゃっかりいいところを掠めていく。

 自然が怒るのも無理ない。原発が未だ解決を省みないのも、人類の欲深さを、知らしめているようなもの。今現在の豊かさがあればいいのだ。特に、自分だけがという、思いの者が増え続けば、神の想うままであろう。それもまた然り。

 戦争をしていないと、国が潤わない所もあれば、貧しい国が出現するのも当然のこと。その仕掛け人は誰か。皆、自分のこととは思わない。そこに殺戮は起きる。平和であろうとすれば、殺したことを認めなければならない。

 我々の住む、この地下に殺された魂があることを。幸せの上に築かれたのではなく、戦争の結果として、今の世界が広がっていることも、認めなくてはならない。平和や幸せの中に、我々の祖先が存在したことを、思い遣らねばならない。

 瞑想をしていたら、家の中に風が入ってきた。その涼やかさは、まるで心穏やかに過ごせと、神に諭されているような気配がした。その風の何と清らかで、爽やかな一陣であることか。宇宙からの贈り物に想えた。冷房をつけていないから、感謝するばかり。

 ちょっと動けば汗が流れるが、枇杷葉茶を飲んでいるから、体臭が全くしない。細菌にも殺菌力があるため、然程の痒みはしない。アレルギー反応を持っているだけに、ありがたさが増すというもの。枇杷葉茶、枇杷風呂がなかったら、考えるだに恐ろしい。

 初夏に大輪の花を咲かせた。真紅の色が鮮やかで、眼を奪う。挿し木で増え、毎年たくさんの花を咲かせる。

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